First Love
円谷一

 英和辞書と歌詞を照らし合わせながら僕は「永遠の初恋」を知った。それは僕の「君」への想いを代弁してくれていて、高校生の頃に戻ったような気持ちにさせた。僕はいつも君と堤防を自転車を押しながら流れ行く川を見ていた。君と一緒に川の流れを見ていたいという気持ちやずっと話していたいという気持ちもあったけれど、僕は、この「本物の初恋」の中で生きている世界、風や空気や草や土の匂いや、君の生理のことを漠然と不安視したり、上げた瞼の裏に焼き付いた街の影に親近感を覚えたり、一度帰宅し私服に着替えて行くクラブの室内の温度や様々な香水がブレンドされたライオンの体臭のような匂いを思い出したりした。急に下り坂になるともう君と二度と逢えないような気がして、今思うと僕は不安になっていた。チリンチリンと鈴の音を鳴らして戯ける君の笑顔を見て、無性にキスがしたくなった。
 母親の代から使っているふにゃふにゃの英和辞書は、真ん中から広げて持ち上げてみると、昔から変わっていない僕のスパイラルパーマの髪型にそっくりだった。僕は宇多田ヒカルの「First Love」を聴きながら感慨に耽って、つい涙ぐんでしまった。学校に黙ってやっていたアルバイトが終わって君と待ち合わせしているクラブへ入ると、君は昼間と髪型を変えて壁に寄り掛かっていて僕と目が合うと、自転車に跨り、チリンチリン、と鈴を鳴らす真似をして微笑んだ。僕は学校ではテンションが独り高くて浮いている君と、本当の友達のいない僕の関係を同級生達に知られたくなかった。何故なら君が陰口を叩かれて傷付くと思ったから。だから本当は君と一緒に帰るのは辛かった。けど、君は無言で首を振り、わざわざ遠回りの堤防を通って毎日僕と帰っていてくれていたのだ。僕も一瞬間があってから笑顔でチリンチリン、と鈴を鳴らす真似をした。化学の実験で失敗したような髪型は、君が付き合っていた元彼の髪型を真似たものだった。いつも君に驚かされているお返しに、ほんの出来心で、吃驚させようとしたのだ。僕の髪型を見た時、君は一瞬息の詰まるような素の表情を初めて見せたが、すぐに大笑いして、「似合ってないよ」と美しい一重の瞳をキラキラさせた。クラブ内の湿度が高く、更に爆発したような頭になった僕を、君は「ライオン」のようだと笑い、ワックスのついた髪の毛の中に両手を突っ込んで、くしゃくしゃにした。ライオンのような髪型と、体臭が充満している室内。僕達はジャングルのように暑い満員のフロアーで、無数に反響するリズムに合わせて踊り続けた。
 汗を掻いた僕達は、雰囲気に流されて、ラブホテルに入ってシャワーを浴び初めてセックスをした。その帰り道、銀河のようないつも見ている川を自転車を押しながらじっくり眺め、漠然とした将来の夢を互いに語り合った。その夜は、僕にとって一生忘れられないものとなった。だが次の日に君は突然学校を辞め、元彼の元へ戻っていった。という、風の噂を聞いた。君の担任の話によると、「父親の転勤による転校」ということだったが、実際のところは分からなかった。
 僕の生まれた街は、今は昔の面影がまるでなく、異世界に迷い込んだような気持ちにさせる。君と通い詰めたクラブも潰れてしまった。年に数回帰郷する時、僕は決まってあの頃使ってた自転車に乗って堤防に行って、川の流れとは反対向きに歩く。そしてあの急な坂に差し掛かると自転車に飛び乗り、チリンチリン、と鈴の音をそっと空に響かせる。


自由詩 First Love Copyright 円谷一 2008-03-23 16:36:14
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