ご挨拶
千月 話子
庭に植えた橙(だいだい)を
隣のいい年頃の娘が じぃと見ていた
熱視線で家が燃えるわい・・・
と小声で冗談を言いながら
剪定ばさみを手に持って
「家のは少し酸っぱいんだけどねぇ」
と呼び止めて 5・6個両手に抱えさせた
嬉しそうな娘の顔は福よかで
優しい観音様のようだった
冬の名残の冷たい空気を
小鳥のちいこい翼が
北へ北へと押し上げて行く
(うぐいすが隣の家の低い垣根の上で綺麗に鳴いた)
ホウ ここの娘が
ホケキョゥ 子を宿したんだとさ
ケキョケキョ なんと結構なことだろね
何となく分かっていたさ わたしは
時々 酸っぱい果実をもぎ取って
食べきれない頂き物などを風呂敷に丁寧に包み
まぁまぁ どうぞどうぞ などと挨拶がてら
様子見をしていたんだよ
彼らは 家で漬けたたくあんを
特に気に入ってくれたもんだから
せっせと漬けては いそいそ出かけた
(娘の腹を触りたいんだ
子のある女は観音様
誰にも内緒の願掛けに)
・・・・・・・・・・・・・
突然 こんな夜中に一体誰だい
とんとと 板戸を打ち鳴らすのは
それは見知らぬ小さな おとこ子だった
そいつは妖怪でもなさそうな可愛らしい顔で
「腹が減ったー」とわたしの着物の袖を引っ張った
もしも 幽霊だったとしても構わない・・・
そんな穏やかな空気をまとっていたのさ
坊は「やらかい物が食べたい」
と 一丁前に注文をつけるのだけど
何となくニコニコしてホイホイ作ってしまうんだ
食卓には 粥と胡麻豆腐 玉子焼き
坊はもぐもぐ良う噛んで美味しそうに食べた
わたしは その横でポリポリたくあんを噛んでいた
心地良い音が気に入ったのか
左右に動く口元をじぃと見るもんだから
「茶を含ませてたくあんを食べると甘いんだよ」
と 上手そうにポリポリ ポリポリ食べてやった
あははは 堅いもんは食べられんやろ
あははは あははは
不思議な話はそれきりだ
隣の娘も おとこ子を産んで
わたしも時々面倒を見た
月日が経って 隣の坊が5歳になった頃
わたしの家で昼飯を食べていた
「黄色いたくあん 沢山たくあん」
妙な歌を歌いながら 坊は始めて
たくあんを食べたんだ 茶を飲みながら
「ほんとに甘いんだなぁ」ニコニコ笑って
遠い昔の出来事がふぅーと頭にやって来て
ああ と微笑む顔を見た
坊は しまった!という顔で
肩を少しすくめたが
わたしは ああそうかい
と 軽く頷くだけだった
もっと たくあん沢山お食べよ