思い出せない(いつのまにか死んでしまうものたち)
ホロウ・シカエルボク





すべて
いなくなった誰かの写真だった

すべて
風に舞う木の葉だった

すべて
破られた約束ばかりの伝言板だった


すべて



自殺未遂の挙句植物化した

弱虫どもが眠るベッドだった



俺は馬鹿みたいに喉が渇いていて
尻から炙られている蛙のような切迫感で
何度も何度も
大量の水を飲み干した
ギターの弦をピックで擦るみたいな音を立てながら
喉の仏はその度に浮いたり沈んだりした
昔よく遊んだグラウンドで
打ち捨てられて錆びた自転車を見た



グラウンドからほんの少し北に下った
喫茶店のある小さな交差点で
昔飼っていた犬が
轢き逃げされて首の骨を折られて死んだ
運転手を見つけ出して殺そうと思っていた



でも忘れていた




犬はその後二匹も三匹も家の庭先に繋がれた

ろくに血の色が見えない死だって在るさ







すべて
もろくなった廃墟の柱だった

すべて
喉を失くしたうたうたいだった

すべて


自分の書いたものすら判らなくなるほどに
もうろくした古い詩人だった






ずう、と車が目の前をよぎるたびに
いつかの記憶と現在がシンクロする
あの時と今と何が違うというのだ
先を急ぎすぎた心臓が抑揚の無いビートを刻みだす
丸い、丸い夕日
酸を引っ被ってしまった後の眼球みたいに
精神の一隅を
跡形も無く塗りつぶす

おお、赤い

俺は言う

それがリアリズムだと青臭い時代には思っていた







すべて
首がぐらついた雌犬


すべて
時折の辛辣な殺意


すべて
同じ交差点の一瞬



すべて
土の下の長い死





死体
死体
死体
死体




小さな頃に拾い上げた鼠の…
鼠の頭蓋骨の不自然な白さ


白すぎて白じゃないみたいだった
白すぎて





白じゃないみたいに俺には見えたんだ









公園の遊具で吹き飛ばされて
鼻骨骨折したあの子の泣声とおびただしい赤い血
そんな景色をどうして今の今まで忘れていた
あの子の鼻の形は違うものになってしまった




どうか痛まないで
どうか痛まないで
どうか痛まないで

どうか





どうかそれ以上痛むことなく



謝ったのかどうか思い出せない
心から
心からそうだったのかどうか


取り返しのつかない痛み
あれは
十代になったばかりの頃だっただろうか







女の子の鼻を蹴り飛ばしたことがある
四年生の頃のことだった


お腹の辺りを
軽く蹴っただけだったと思っていたのだけど
ふざけて一目散に逃げたから気づかなかった
次の日先生にこっぴどく叱られた
そんなことをするつもりじゃなかった
ふざけて遊んでるだけのことだった
鼻血が出たのよ?そう言われたときの
違和感のことなどどうしてこんなときに思い出す









親友だったやつと喧嘩になって
指を思い切り踏んづけたことがある
あいつの名前は誰だったか
記憶の中にあった名前は
それより数年前に引っ越した奴の名前だった
あのときのあいつは誰だった
あのときのあいつはいったいどこの誰だったんだ
毎日いつもつるんで遊んでいたのに
どうして顔も名前も少しも思い出せない



母親が笑いながら見ていたことだけは何故だか覚えている









女の子の背中を殴りつけたことがある
あれは多分五年生の時のことだ
転校生で、とても気の強い子だったから
なにかとても腹の立つことを言われてやりかえしたのだろう
だけど
何が原因だったのかなんて例によって少しも思い出せないのだ
たった一発だった
彼女は避けようとして背中を向けたのだ
だむ、という音がした、たった一発だった


彼女は泣いた
俺は狼狽して





廊下へ飛び出し、階段の踊り場まで逃げたけれど(多分昇降口を目指していたのだ)
級友たちに捕まってものすごく責められた
あの時の級友たちの怒号
俺は涙をこらえていた
きっと
悪いことをしたという自覚がなかったのだ
きっと腹を立てていたに違いないのだから







(もしかしたらただなんとなく殴ってみたかっただけかもしれない)




だむ、という音は鮮やかに蘇ってくる


生体を殴るとあんな音がするのだ







友達のインベーダーの消しゴムを筆箱から盗んだ
焼却場の炎をずっと見つめていた
あまり高くないブロック塀から
三年生ぐらいの子供が落ちるのを見た
何もしなかった
俺のすぐ後ろを歩いていた六年生くらいの女の子が
すぐに駆け寄っていろいろなことを聞いていた


(おそらく彼女はあの子が落ちるのをどこかで待っていただろう)
俺はそう思っただけだった
そうだ
そう思っていただけだったのだ





そしてそれは多分きっと今でも











すべて
死体だった


すべて
死体だった


すべて
首がぐらついていた




すべて
わずかな血しか流さなかった






思い出せない
思い出せない
思い出せない









教えて
教えて












教えて





自由詩 思い出せない(いつのまにか死んでしまうものたち) Copyright ホロウ・シカエルボク 2008-03-17 22:04:51
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