延長戦と境界線
ブライアン
会社帰りに友人の店へ飲みに行った。8時を過ぎたあたり。20席くらいの店内に、お客さんは1組だけだった。身長の高いこの店のオーナーは、扉を開けた瞬間、ちょっと久しぶりだね、と言う。ちょっとだけ、久しぶりだった。
今時、弓矢で狩をするような話し方をする同僚は、こんにちは、と答える。適当に座って、とオーナーが言った。一番奥の席に二人で座り、早速ビールを注文する。
ここと、そこの空間に境界線はなかった。そこはここの延長にある。だが、ここは、東海村で、そこはひたちなか市だった。大きな橋だったか小さな橋だったかは覚えていない。午後7時、いわき市から走りはじめた体は、興奮と疲れのあまり結果以外のものは求めていなかった。
ひたちなか市まで残り20キロ弱。日が山に隠れる。目標は何の延長にあるのだろうか。現在の延長だろうか。それとも過去の延長だろうか。ただ、延長していく現在進行形の果てに目標はあった。
そうだ、目標はさらに延長する。
ガラス張りの店内に向かい合う。二つ出されたメニューから、前菜を一人一つづつ注文する。手元のビールを口に運ぶ。会話はそれほどなかった。重要なことはそういったものではなかった。手持ち無沙汰にもう一度ビールを口に運ぶ。手のひらを見る。そして、少しばかりたわいもないことを話す。
今日が終わるまで、あと3時間だった。店内は次第に騒がしくなる。
小さなバス停の中で一夜を過ごす。昨日が過ぎ、今日を迎えた。昨日までは今日だったものが置き去りにされる。だが、今日は今日だった。そのことに触れるものは誰一人いない。
今日は昨日と似ている。
だが、似ているものは同じだというわけではなかった。昨日までは走れた体が、今日は動かなかった。動かないからだ。痛みがあった。痛みを得たのだから、動けるわけはなかった。人が動く理由はおそらく、欠如のためだ。痛みにより満たされたのならば、おそらくそこから一歩も動くことはできなくなる。
なぜならば、痛いからだ。
午後10時30分。三年ぶりくらいの知人と会った。
昨日、この店では会えず、明日もこの店では会えなかった彼と会った。
彼が延長してきた彼自身が、今日ここにあるというのは不思議なことのように思えた。3年前の原宿のような触覚が、体の内側に走る。
同僚は、こんにちは、という。
歩くようにたどり着いたひたちなか市から延長し続け、この店にたどり着いた。昨日でも明日でもなく、今日の出来事。ここから、そこへいくために、また、目標は延長される。だが、延長ということは、ここにはっきりと境界線があるということなのだ。目標は、この境界線を越える。同時に目標はこの境界線に包まれる。