長生き
六九郎
彼の歯はもう十分に草を食むことができない
エナメル質は磨耗し
大臼歯は欠け落ちた
彼は少しはなれたところから群れを見ている
鼻から水をふき出して遊ぶ子ら
群れの中の何頭かは彼の子であり、また彼の孫たちである
彼もまたこの群れの中で育ち、子を育ててきた
群れは大きくなり小さくなりしながら今日まで続いてきた
ここには水も草もある
頭上に輝く太陽は全てを温めている
今日は申し分ない天気である
彼は群れに背を向けゆっくりと歩き始める
気づいたものはいない
夜になっても彼がいないのに気づくものもいないかもしれない
彼は自分が向かうべき場所を知っている
彼はもう食べる必要がないのも知っている
彼はうっすらと覚えている
自分より先にそこへ向かった象たち
大人になる前に死んでいった同胞子象たち
彼は悲しみを感じていない
ただ一頭で静かにそこへ向かっている
彼を邪魔するものもいない
もし、彼が言葉を理解したなら
煉炭集団自殺の記事を読み聞かせたなら
彼は笑うだろうか
彼は「孤独死」も「尊厳死」も知らない
まだ日は高い
暗くなる前に着けるだろう
そして、彼が最後に感じるのは
太陽に照らされた地面の温かさである
誰も引き止めるものなく
嘆くものなく
弔うものなく
喪に服すものなく
思い出すものなく
群れは今日も平和である