朝の、底
望月 ゆき

からだのすべてを耳にしてしまいたい、いっそ





糸電話から伝わった振動が、
あのひとの声だったと気づいたときには、もう
音もなく、底はふるえない
わたしを塞いでいく夜にも、たしかに
変わらないものはあって
混沌と流れる世界はいつも
青信号ですすんで、赤信号で止まる
右にも左にも曲がることはない
糸をたぐり 交差点を直進して、
底がふるえた、さいごの記憶を拾いあつめては 
皮膚に貼りつける
宵の空には、おうし座のすばる




わたしの奥深い場所にある
地図にない湖の、水面が揺れて
あのひとに似た背中が
釣り糸を垂れている
午睡に見た夢の、それは続きかもしれない
夜の継ぎ目で囲われた、その映像は
ただしい角度で見えているのに 
音を、持たない




二人で観た、映画のタイトルは忘れてしまったけれど、
帰り道であのひとがたくさん教えてくれた、
星の名前だけ、ぜんぶおぼえてる





何度も、触れていたはずなのに 
あのひとを形成するいくつもの部位の、
温度さえ、おぼえていない
テーブルの上でこぼれて、気化していく炭酸水と
おなじ速度で 
夜が、ほどけていく
明け方の空に、おとめ座のスピカ
わたしの右手で、左手を結んで その
体温をたしかめる
ひらかれていく皮膚を擦ると、そこから
朝の、声がうまれて ふたたび
ちいさく、底をふるわす







自由詩 朝の、底 Copyright 望月 ゆき 2008-02-20 01:48:25縦
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