無限と愛情についての返歌
うとう

無限は境界を消去する装置です。有限は境界を生産する装置です。無限は時間を消去する装置です。有限は時間を生産する装置です。境界は抑圧を生みます。時間は酷薄を生みます。何れも不条理なことです。何れも私達生命の源です。無限や無窮は救われない私達に与えられた嘘です。境界は何時だって有限で時間は何処でも有限です。世界にも家にも境目があり外は他の人の領域です。天皇も自分も寿命があり死ぬと消えてしまいます。有限の世界と時間に抑圧されたときは無限を思います。無限の嘘に気づいたときは傍らの人を大切に思います。僕は何時だって何処だって地理と歴史と部屋の片隅で、呻吟しててそれは決して満たされることはありません。残り少ない二十代の時間を嘘で飾り、許された六畳の空間を嘘で飾っても、神様は罰しません気づいた人が罰します。神様はいなくて他の人間がいるからです。戦うことができるのは、限りがあることを知っているからで、平穏でいることができるのも、人の限りを知ってるからです。力がなければ、限りのないものを思います。力に気づけば、限りあるものを確かめます。無限は限界を消去する嘘、でも僕らの杖となり、有限は限界と戦う理由、でも僕らを苦しめます。無限は限界を消すための嘘、でも僕らを縛めます。有限は限界と戦闘する理由、でも僕らの剣となり。生は限りあるもので、僕らは戦わなくてはいけません。他人が自分を飲み込もうと、常に襲ってくるからです。喰われたものの儚さに人は無関心です。目を伏せて通り過ぎるか素知らぬ顔で、端に除けるか笑みを浮かべて踏みつぶします。生きている限り何処かで何れかをやりました。そしてこれまでみんなにどれかをされました。捨てられたものの脆さに手を差し伸べる、その手は嘘です。力あるものは弱いものを食べて、僕は毎日を生きています。弱いものは力あるものに食べられて、僕の時間は進みます。無限は僕の剣と成り嘘と成り可能性という捨てられた過去を救い、この世には存在しない僕の杖となるものです、救いという嘘です。愛に無限は存在しないです。無限は嘘だと気づいたとき、傍らにいる人の瞳に無限の、愛が見えるのだと思います。それは嘘かもしれないけれど、生きている人は夢見ています。
僕らは有限です。
限られた時間と限られた空間でしか生きていけません。無限を思うこととは生きとし生ける人の願いなのです。僕も無限があればいいなと、心の何処かで思っています。だから嘘に気づいて下さい。言葉の嘘に気づいて下さい。絶対的な善もなく絶対的な悪もありません。絶対がそもそも存在しない価値だからです。偽善も存在します。偽悪も存在します。言葉は全て嘘だから嘘を連ねて、僕はほんとうを語ろうとします。僕らは毎日の営みで相手に傷つけられ相手を傷つけて生きているのです。僕らには限りがあるからです。無限を思うことは愛の深さでもあります。愛の浅さでもあります。幸せと不幸せの証です。無限を思うことは有限を呪う、僕らの自我の表出であります。無限は愛おしいものです。無限の愛情を信じて下さい。無限の自分を信じて下さい。無限を信じた僕はそれで行き詰まりました。限界を確かめると不思議と前進できました。人は何故永遠に生きられないのでしょう。人は何故いつか死んでしまうのでしょう。無限を信じなければに思いを馳せることは難しく、限界を確かめなければ一歩を踏出すことは難しい。人はいづれ土の下に消えてしまいます。叩いて潰れる夏の虫のような存在です。無限を信じて有限を刻印してください。愛情は必ず立ち現れ誰かに施されます。露と消えることであろうとも、貴方が施した瞬間は僕の存在の、何処かへ施されているものです。忘れてしまうことは悲しいけれど、それでも僕の人生を彩っています。忘れられてしまうかもしれません。けれどもそんな瞬間も引きずって、僕は人生のある時点を生きています。生きている限り、存在した瞬間です。死んでしまうと全部が消えてなくなってしまうのです。自分が尊いと思うから自分を甘やかしてくれる存在が、生きている世界と時間のどこかにあると思いたいから、思いの丈を綴ります。儚い企みです。僕の我が侭です。貴方が足跡を残す理由もそれでしょう。僕が足跡を残していく理由もそれです。企みを続けてください。それは無限の愛情です。
僕らは無限を望んでいます。


自由詩 無限と愛情についての返歌 Copyright うとう 2003-09-04 04:03:15
notebook Home 戻る