目玉焼きのつくり方
小川 葉

元栓を開ける
妻の背中がさみしくて
それでも朝は訪れる
目玉焼きを焼いたら
少し黄身が左に寄って
それを僕が真似る

どこ見てるの
ため息混じりで聞く妻の声も
どことなく左に寄っていて
右利きの二人はテーブルで
うまく黄身を割れないでいる

駅にはたくさんの人が集まる
まるでガスのように
火気厳禁の静寂さはきっと
これからはじまる一日のため
さびれはじめた駅舎の壁が
少しせつなく傾いてる

ガステーブルが壊れたので
街まで買いに行く
電気屋の店員が何度も僕を
「お客様」と呼ぶので
あんまりじゃないかと思って
「僕にだって名前はある」と言うと
妻が僕の腕を引っ張って
泣きそうになってる

「それでは小川さん」と
店員が勧めるガステーブルを
もうそれ以上何も言わずに
奨められるがまま買った
カード払いだったので
僕は「小川」とサインすると
店員がフルネームで、と言うので
しかし僕は忘れてしまって書けなかった

「それではお客様」と店員に案内されて
僕は再び「お客様」になって
ちょっとした手続きを済ませて
小川さんはやっと
ガステーブルを手に入れた

電車で帰っていつもの駅で降りた
壁をせつなく見つめて妻は
「ここに毎朝ガスみたいに人が集まるのね、あなたも」
僕は少し黙って
「でもそうでもしなきゃ」
と言ったまま何も話さなかった
「もっといい作り方があるはずなのに」
妻もそう言ったまま
もう何も話さなかった

ガステーブルが届いて
今朝も変わらずに目玉焼きを焼く
目玉は久しぶりに左に寄らなかった
僕らは目をそらす必要がなくなったので
久しぶりに真っすぐ見つめ合う

妻が僕の下の名前を呼ぶ
僕も妻を下の名前で呼ぶ

今朝はまたやけにひどい
ガスに霞む駅に向かって
僕は妻に見送られて
消えるように手を振った


自由詩 目玉焼きのつくり方 Copyright 小川 葉 2008-02-05 02:08:22
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