恋歌
clef
もえる火の中でインクの文字が黒く浮きでたと思うや、寸時ののち、
ひときわ赤くかがやいた。一瞬、炎がわたしの心臓を、わしづかみ
にしようと触手をのばしたけれど、ここまでは届かなくて、わずか
に頬のうぶ毛をかすめただけだった。試みのあざとさに驚くよりも、
まだそんな力をのこしていた、おもいの滓がいじましい。
あなたの螺旋とわたしの螺旋は、ふれあわなくてもよかった。雑踏
でゆきすぎるだけの、記憶にとどまらぬ他人であるほうがよかった。
あのとき、絶縁がはがされ、ばちっと電気がながれ、なま身のから
だには痛さであるはずのここちよさに酔っていた。毒である酸素を、
うちにとりこむことで、ながらえてきたせいぶつの、それを英知と
するならば、わたしたちがうちがわにかくしている欲望や汚辱を希
望とよぶことは、あながちあやまりではないだろう。
あなたが油にまみれた手で、ちからをふりしぼって、毎日まいにち
回すのだという無数のボルト。そのボルトがはらんだ熱は、いくつ
もの山脈をこえ、たぶんすこし冷めてから、わたしのところへ届い
た。熱のすべては、ちからにはならないのだから。それはきまって
いることなのだから。すべてがうすれてしまったとしても。誰も。
法則や公理からこぼれ落ちていく感情だとか、嫉妬だとか、夢だと
か、そのまま。
さしだされた空虚を、わたしは舌のうえでころがしてあじわった。
わたしはあなたがつかう色や形のたよりなさがいとおしくて、とき
どきその色を真似してふざけた。調子にのったわたしは、あなたを
あなたのほんとうの名前でよんでしまった。とまどいをかくさなか
ったあなたにわたしは失望した。もうこの世のはてのはなしなどや
めようと。
せつなさの水は炎にやかれ、やかれることで息をふきかえしてしま
った。一度とけた雪は、ふたたび氷結し、だれかがその上をとおる
のをいじましく待っている。雪のうえで眠るしあわせをおもいだし
たあとで、それはやわらかくあたたかい枯れ草のことだったと落胆
した。あたたかな水、あたたかな水と唱えるうちに、おもいの葉を
うかべた湧水は、決壊した川のように、いちどきにどっとながれだ
した。