批評祭参加作品■「美しいミサイル」 いとう
たりぽん(大理 奔)

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「美しいミサイル」 いとう


 自分の感覚や言葉、理論、知識・・・宗教や思想でもいい。それらを総動員しても理解できないものが目の前に現れたとき私はどうするだろう。理解できない理由を他人のせいにしたり、あるいはそれは存在しないものだと目をつぶったり、そうあるべきではないと否定するだろうか。そのようなあり方は、読み手としての私ではないと心がけたいと思う。読み手にとって作者の心情や意図は風紋をつくる風のようなものであって、その成り立ちを科学的に詳しく解析しても風紋の美しさは永遠に理解できないだろう。この一年「美しいミサイル」という作品は私にとって、児童公園の砂場にできた風紋だった。目を閉じてしまえば気にすることもなかったが、砂場をながめるときにはどうしてもその理由を知りたくなる風紋だった。

しかし、謎解きはしない。それはこの詩の本質を包み隠しかねないから。


私がこの作品から感じたのは 孤独 だ。それが作者なのか私の中の何か、なのかはわからない。ただひたすら満たされることのない、それが「潰すもの」のように思えてならない。欲・・・性欲、物欲、権力欲・・・戦争、誕生・・・「境界をみることのない」人間の世界の輪。平たく「世界」といってしまえばそれがいちばん近いと思うが、もっとも遠い温度のようにも思うわれる。ひとくくりにされた世界ではなく、あくまでも人間、小人に比喩される人間がひとりひとり持ち、手をつなげていった輪の名前。そこに硬質な「美しいミサイル」だけがこの世のもののように置かれている。その何という人間不信。自分からをも孤独な心。

謎解きはしない、といいながらもこの詩には謎めきの罠が張り巡らされている。小人達、輪、妊婦・・・それぞれに意味を持たせてパズルのように組み合わせてみても最後まで埋まらない空白が用意されているだけだ。幾重にも幾重にもシンボリックな言葉を重ねながら、それでいて辿り着けない。

武器は美しい。殺傷力の高いものほど洗練された美しさを持っている。でも美しさは誰も殺すことはない、美しいというそれだけでは。作者の中の「美しいミサイル」はいったいなんだろう。美しいとは。ミサイルは誰もが持つ凶暴な牙のような武器。「弱いまま/生きていられますように」と願えば願うほどいつかミサイルは放たれ、何かを得て何かを失っていく。孤独なまま過ごせない弱さと閉じられていく自我。強さが自分の輪郭を奪っていく。


公園の砂場で不思議な風紋を踏みつけてみる。儚いその輪郭はあっさりとその姿を失う。そして無数の砂だけがある。先程まで風紋をつくっていた砂が。風紋とは輪郭の名前だったろうか。砂にはその本質はなく、ただ風の姿を一瞬写し取った・・・この詩のように。

(文中敬称略)


散文(批評随筆小説等) 批評祭参加作品■「美しいミサイル」 いとう Copyright たりぽん(大理 奔) 2008-01-24 23:25:18
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第3回批評祭参加作品