かなしみ
soft_machine
寝たきりの祖母が一週間の大半を
天井を見て過ごすことがかなしい
私の顔も忘れた瞳が
時にきれぎれの記憶を思い出す
その輝きが
新しく覚えることがらを無くしても
ふと寂しさを宿して見えることが哀しい
とぼとぼと曲がりくねった帰り道
空がかなしかった
季節がかなしかった
染み入る色が哀しくて
女は胸の痛みを堪えて歩く
その背中に人生を読み取れたとしても
ことばにした瞬間から
なんだかとても安っぽいものに思える
それでも今日も哀しみはやってきた
テーブルに積み重なったグラスが哀しい
歪んだ窓に映された電線の向こうの雲が哀しい
壁越しに流れくる隣のファドが哀しいと
飽きもせずいつまでも繰り返し
幾らでも置き去りにできるもの
何の為に
自分の為に
そんな風に思えばかなしいことは
実はそれほど哀しくないことかも知れない
叫ばずにはいられない怒りにくらべれば
駆け出してしまう喜びにくらべれば
日々の会話
一切れのパンよりも
哀しみは愛しさと同じくらい儚くて
まるで野良犬を襲うにわか雨のようだ
柱に刻まれた文字を伝う風の祈りのようだ
ことばで出来ることに限りなかったあの日
男の子がたったひとり公園に描いた絵
その隣で神さまは世界に数字をばら蒔いた
夕暮れになるとことばの影に休む神さまは
今の私からはなれて遠く
優しさと同じくらい
流れる涙にそれ以上の名前はいらない
きっと今夜も天井を眺める
祖母のしわくちゃだった皮膚が
伸びて薄っぺらくなっていた
するとかなしみは
こどもの笑顔のようになる
けれど、私は泣かない