St. Deva
ケンディ

布教の旅の終わりが近づいていた頃でした。
ある夜、私たち使徒は喜びの宴を開いていました。
長く辛い布教の旅でした。師を中心に私たち使徒は、
様々な街を訪れたものでした。そして説法をして歩きました。
多くの迫害が起こり、多くの使徒たちが脱落していきました。
しかし迫害に耐え抜いた使徒たちは、師とともに、
粘り強く布教の旅を続けてきたのでした。

信徒も徐々に増え、私たちの大事業は成功を
収めようとしていました。 長く苦しい旅を終えつつある
私たちは、間近にせまる故郷への 凱旋を
夢見ていました。私も他の使徒たちも嬉しさに
顔を火照らせて、勝利の祝杯を上げていました。
私はとても誇らしい気持ちでした。きっと他の
使徒たちも 誇らしさで胸がいっぱいだった
ことでしょう。

焚き火の前で師は一人、考えに耽っている
ようでした。 静かで、そして憂鬱な
まなざしの師を見つけ、私は
心配になりました。師のまなざしは、
私に向いていました。 偶然に目が合ったのだ
とも思いましたが、やがて、はっきりと
師が私の顔をじっと見ていることに気づきました。

私は師のもとへ行き、話しかけました。
「師よ、いかがなされましたか。私のこれまでの
信仰に弱き心、 迷いの闇が付着しているのであれば、
神の真理へ どうかお導きください。」
「弟子よ、お前はよくやっている。お前ほど熱心で
心の堅い 弟子はいない。そして私はお前を弟子の中で
最も信頼している。」
私は感動で胸が熱くなりました。師は続けて言いました。
「それだからこそ、私はお前に大きな試練を
授けたいのだ。 これはお前のように信仰の
堅い者でなければ やり通すことが
できないだろう。」

「私はこの信仰のために命を捨てる覚悟は
できております。 信仰のためになるのであれば、
どのようなことでもやります。」
「生きよ。死んではならない。だが、 信仰を
捨て去るのだ。これがお前に課せられた試練だ。」

私は耳を疑いました。
「師よ、仰せのことがよく飲み込めませんでした。
申し訳ございません、どういう試練で
ございましょうか。」
「信仰を捨て去るのだ。この信仰を捨て去り、
そしてあらゆる信徒の前で信仰を捨て去ったと
宣言するのだ。そして信仰を保つ者を罵倒し、
暴力を振るって迫害を加えるのだ。
これまで私たちを迫害してきた者たち以上に、
お前は、我々の教団を付け狙い、
破壊しようと企てよ。つまり、私がお前に頼む
厳しい 試練というのは、信仰を捨て去った
極悪者の末路を、 その身をもってして、
信徒たちに示す という試練だ。」

これまであらゆる試練と苦難に
耐えてきた私でしたが、師から言い渡された
この 試練に大きな恐怖を抱き、絶句して
しまいました。
「私はこれまで命がけで貫いてきた信仰を
捨て去り、 否定しきって、そして地獄へ
落ちるのですか。 師を罵倒し、教団を破壊する
画策に、本気で手を 染めねばならない
のですか。なぜ、そのようなことを
する必要があるのでしょうか。」
「お前は教団を迫害し、そして最後は
無残な死を示しなさい。それによって、誰もが、
迫害者の 醜悪な姿を真似したいと
思わなくなるだろう。
これはお前でなければできない。お前ならば
多数の悪人を集め、そして私の教団に
壊滅的な打撃を加えることができるだろう。
そしてそれほどの大罪を犯した者がどれほど
悲惨な死に様をするか。これを示すことも、
お前しかできないだろう。」

演技ではならない、と師は厳しく付け加えました。
私が浅はかに切り抜けようと思い描いていたのを
見抜かれ、師はお叱りになったのでした。
私は、信仰をひそかに貫きながら、教団を迫害する
ふりをすることで、切り抜けようと思っていたのでした。
しかし信仰を貫いてしまえば、私は師から与えられた
使命を踏みにじることになってしまうのです。

私は皆が寝静まったあとも眠れず、
独り悩んでいました。師から告げられたこの
試練は、これまでにない苦しみだったからです。
当のこの信仰のために、この信仰を捨て去り、
否定し、破壊せねばならないからです。
私はこれまでに積み上げてきたすべての
聖なる体験も、一番弟子としての誇りも、
約束されていた死後の救済も、
すべて、すべて捨て去ってしまわなければ
ならないからです。あまりに深刻な悩みのため、
吐き気がし、胃の中のものをすべて
吐いてしまいました。
これまで命懸けで守っていたものを
すべて破壊しろと、私の師匠みずからが、おっしゃるのです。

私は先ほど、思わず師匠の発言に反発して
しまいました。
「命懸けで守ってきたものを、破壊せよと
おっしゃるのですか。
そんなことがいったい誰にできるというのですか。」
「お前はこの信仰のために自分の命を捨て、
どのようなことでも
やる覚悟があると言った。それは嘘だったのか。」

「今の幸福をすべて捨て去ってしまえる覚悟を持つ者。
終わりなき布教の旅路には、そういう人間が必要なのだ。
信仰のために自分の命を捨てることができる者とは、
己の信仰も、神からの祝福も、すべて捨て去って
しまってもかまわないという覚悟をもつ者のことだ。
お前はそれができる強い使徒ではないか。これは、
お前にしかできない私の構想だ。
そして誰にも言ってはならない。」

私は雑木林の中に入り、人知れず泣き叫びました。
私はこれまで、すべて師の構想を実現してきた。
師の期待に必ず応えてきた。
愛する仲間たちを守るために、あらゆる迫害を喜んで
受けられた。 だが、これからは師を罵倒し、
仲間を傷つけることで、

私の信仰を証明せねばならない。

今の幸福をすべて捨て去ってしまえる覚悟を持つ者。
私はそういう人間でありたいとつねづね思ってきました。
しかし、そういった人間は幸福なのだろうか、
不幸なのだろうか。
きっと両方なのだと思います。
すべてを捨て去って しまってもかまわない覚悟。
そのような境地にある 人間の姿は、この上なく
幸福であると思います。 絶望により心が
崩壊する心配がないからです。
絶望による心の崩壊こそが、不幸の源泉なのです。
この不幸の源泉が断ち切られているというのは、
幸福の理想型ではないでしょうか。

しかし他方で、最も不幸な者ともいえると
思うのです。 すでに絶望を先取りしているからです。
生まれたときから間断なく絶望に寄り添い、
絶望とともに初めから存在している者の
姿でもあります。
これは最も不幸な者といえないでしょうか。
信仰を貫く者とは、そういう宿命を背負う
ということなのでしょう。私だけでなく、仲間の
使徒たちもすべてそうなのです。
私は師への誓いを貫くため、この構想を
実行する決意を固めました。

師があるときおっしゃったことを思い出しました。
「私がもしも、気が狂ってしまい、おかしなことを
言うようになってしまったとき、
お前たちはどうするか。」
「私は師に付き従います。」私は間髪いれずに
そう言いました。これは師への誓いだったのです。
地の果てまでも、私は師に付き従い、師の構想を
すべて 実現して期待にお応えするのだと、
熱い誓いだったのです。
そして今もその誓いは変わりません。

それから、私は師の構想を実現するために、
様々なシナリオを描きました。まず師を
侮辱する発言を少しずつ仲間うちで吐くようにする。
他の邪教徒に近づき、知遇を得る。様々な邪教、
邪教的考えを取り入れてみる。
そして、邪教の神、悪魔などに祈ってみる。

おそらく私はこれから愛する教団と師を迫害し、
壊滅的な打撃を与えてしまうことになるでしょう。
本気で師を憎み、かつての仲間たちを
殺していくでしょう。全生命をかけて、
教団の破壊を企て、愚かな手下を操る
自分に陶酔するでしょう。まなざしは異常になり、
淫乱な独り言をつぶやいて夜の町を
さまようことでしょう。 それほどに狂乱することを、
心底望むことからはじめねばなりません。

これから狂い乱れた人生を送る私は、きっと
師匠よりも 早く死に、わが愛する教団の
歴史の中で、 極悪の典型としてその名を
留めることでしょう。 将来、師は私をどのように
評価してくれるでしょうか。私の死後、
師はきっと私を思い出すでしょう。死の
ふちにおいて師は、 絶縁しつつも

秘密の絆で

結ばれている弟子を、
どのように思い出してくれるのだろうか。



散文(批評随筆小説等) St. Deva Copyright ケンディ 2008-01-20 17:17:39
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