そのもの
狩心
平和ボケしている僕らが、どうやって危機感を持てばいいのでしょうか。。
やっぱり今日も晴れです。どこまでも
続くかのように見えるのは錯覚でしょうか。ええ、
どこまでも続く空間なんて、無いのは知ってるんです。。
小学校の勉強で、なんで哲学を教えてくれないんでしょうか
それこそ不純です。勿論、西洋文化の論理的な思考は
なんとなく文化と、あうんの呼吸であるグレーゾーンの日本には
適さないかもしれません。、焦り過ぎて、冷や汗が出てきました、
それでも左手は哲学してるんですね。右手は自慰行為を働いているのに。
トイレに行く暇も無くていつも、口をぽかんと開けながら小便垂れ流しっ放しで
立ち話する昨日です。そんな記憶が貼り付けば貼り付くほど
辞書の分厚さは恐怖の域に達して、大災害や凶悪事件を夢見ているのです。、
−麻痺について−
一定の器の容量を超えると
水位が上昇して大陸が海に沈みます
もちろん呼吸なんかできません
自分がどこから来てどこへ向かうのかさえ分からなくなるのです
快楽の中に身を沈めて「すごい!」「すごい!」と連発する事も可能ですが
「すごい!」と「すごい!」の隙間にある一瞬の冷静さについて忘れる事ができません
−冷静さについて−
みんなが笑っている時、ぼくは笑いません。
それは人間として、悲しい事かもしれません。
しかしながら、そういうポジションに立つ、生贄としての人間も必要なのではないでしょうか。
皮肉って人々を嘲笑うわけではなく、現象の裏側に貼り付いている語句の誤解について
忘れる事ができないだけなのです。
−語句の誤解について−
語句の誤解を回避する為に、あらゆる側面からそれを疑います。
みんながそう言っている、わたしはそう思う、ではなくて、世界の目の中に潜り込むのです。
一つのスポーツのようにルールが決まっているわけでもなく、言わば、異種格闘技です、
経験、情報、感覚、その全てを総動員して、スタジアムを満員にする
広告塔みたいなもんです。、だからある種、
ぼく達は無料で配られる求人雑誌と似ています、。
ページを捲る度に自己の中に他者を求め、他者の中に自分を映す鏡を設置するように
毎日息を吐いて鏡を曇らせながら、汚い雑巾でそれを何度も拭くのです。
可能性がぼく達の顔面を生かし、そして叩き潰すように
ぼく達は自分を殺しながら生きていかなければならないのです、
私は私を誤解しているかもしれない
そのジレンマについて
−ジレンマについて−
一つのものを得る時、複数のものを失います
それが大人になるという事なのですが、
全てのものを得る道も残されています
それは仲間を作る事です
なぜこの世界に大勢の人間がいるのか考えた事はありますか・
その答えは簡単です、それは
人と人の隙間に真実が隠されているからです
言葉と言葉の間に真実が隠されているように
何も書かれていない部分に
いつもと変わらないように見える晴れの空に
あらゆる問いと答えの永遠の連結が潜んでいるのです
さぁ、あなたが空を見上げた時、いつものように
「今日も晴れか」と言えるでしょうか
「悲しい時は雨で、分からない時は曇り」と言えるでしょうか
きっと人生の中であるはずです
感動の中の雨や、悲しい時の太陽が
−心象風景について−
目の前に現れている現象は
心象風景か、それとも事実か
少なくともあなたがそこに居るという事は
今までのあなたの選択が反映された結果です
だからこそ、目の前の現象が事実だとしても
それはあなたの心象風景でもあるのです
世界に広がる出来事が、あなたと無関係に起きていても
あなたがそれを目撃している限り
それはあなたの匂いとなり、音楽となり
あなたの血となっていく運命にあります
あなたが自分は無力だと、孤独だと感じた時、
もう一度考え直してみてください
あなたは人間で神様ではありませんが
あなたは、世界そのものです