聖性、冬、機械
ケンディ

ある日彼は突然発狂した。そのとき私は彼と一緒に部屋にいた。突然彼は自分の眼球をえぐりだしたのだ。数時間の苦しみの後彼は息絶えた。もはや彼はいない。私の唯一の友人だった。率直に言って残念なことだ。彼の魅力が分かるのは、何ゆえか私以外にはいなかった。彼の思想を他に誰も理解することはなかった。誰も彼に近寄らなかった。しかし私にとっては、彼の発言、一挙手一投足に至るまで深い意味とエネルギーと愛があった。そして恐怖があった。
恐怖は、彼の嫉妬に狂った卑しい目つきが放っていた。嫉妬と悪意を力の限り発散しようとする彼の顔の歪み方は、戦慄と吃驚をもたらすものだった。彼自身の持つ激痛と病気の全てが、私に刻み込まれるのを強烈に祈っているかのような、恐るべき目つきだった。同時に表れていた卑小さは、あまりにもマゾヒスティックであり、これも私を恐怖のどん底に突き落とした。それから耐え難い悪臭を放つ口、垢にまみれた体。伸び放題の爪と髪と髭。動物のように垂れ流される糞便。これこそが彼だった。私がこの友人を偲ぶ時思い起こされるのは、垢、フケ、排泄物、爪、歯垢…そういった彼にまつわる、醜悪な廃棄物ばかりなのだ。
私にとって彼はあらゆる愛だった。小難しく言えば、古代ギリシャで言われる三つの愛全てを兼ね備えていた。つまり性愛(エロス)、友愛(フィリア)、博愛(アガペー)。いや、それらの愛が一気にひとつの肉体に凝縮された。その結果が彼だった。彼は私の恋人であり、親友であり、信仰対象だった。私は彼にとって、絶対服従の奴隷だった。しかし同時に彼は私の最も下等な奴隷だった。
ある時の彼は神秘的だった。神秘的な彼に触れると、私は現実へと帰ってこられなくなった。それなので彼が死んだ今でもまだ、私の精神と肉体の一部は、彼の口と舌と指とペニスが描く密教的曼荼羅の中に縛り込められ、恍惚としたままである。だが私という悪しきリアリストは、彼の一面にこだわり、縛りつけられているに過ぎない。
ある時の彼は猛毒を持った誹謗・中傷だった。彼は「風刺」と称するが、あまりの毒々しさに、死魔が呼び起こされたぐらいだ。猛毒の彼の前で、私はただのたうち回る蝿だった。その時の彼の残忍でグロテスクな歪んだ目つきと表情は、私の中の蝿の遺伝子と共鳴していた。私の中に蝿の卵が蠢くという絶望的な恐怖に私は耐えられなかった。私は気が狂う寸前だった。
そんなときに彼が、私の目の前で突然自分の眼球をくりぬき出したのだ。その時、私の代わりにもしあなたが立ち会っていたとしたら、目の前で行われていることを完全に把握できなかったに違いない.そして後から、本当は拍手で祝福してあげるべきだったと悔いることだろう。なぜなら今回の件で彼は飛躍的変化を遂げたからだ。いってみれば量ではなくて質において。彼は常日頃から絶叫していた。今回の彼の叫びはいつもの叫びと音量的には何も変わらなかった。近隣の住民は今回の彼の絶叫をいつものことだと思ったことだろう。だが、この絶叫の音質は明らかに違っていた。私にはよく分かった。
無限の苦痛。永遠に増大する吐き気。その中で、ただ果てしなく飛躍し続ける生命。これは忘我状態をもたらす。忘我状態にあった彼の眼前に現れたのは何だったのか。それは彼にしか分からない。
だが私に分かったことがある。彼の絶叫には熱烈な祈りが込められていたことが。絶対に見ることのできなかった、神秘的世界に飛翔しようとする聖者の忘我的熱狂が彼の叫びには込められていた。彼の絶叫の中に、私以外の誰が、静穏なグレゴリオ聖歌を聞き取ることができたか?つまり、吐き気と激痛に満ちた騒音の中に、私以外の誰が完全な静寂を聞き取ることができる-か。

吐き気と-苦痛に満ちた-彼の-絶叫の-中に-私-以外の-誰が-完全な-静寂を-聞き取ることが-できるか
(Wer-außer-Mir-Könnte-Seinem-In-Den-Ekel-Und-Schmerzen-Geratenden-Schrei-Die-Perfekte-Ruhe-Abhört)

 彼の眼球掘削と絶叫が、崇高な儀式であるには、私がそこに参列している必要があった。儀式が、過ぎ去ることのない常−現在であるために。ゆえに私はこの呪文を反復し続けたのだ:吐き気と-苦痛に満ちた-彼の-絶叫の-中に-私-以外の-誰が-完全な-静寂を-聞き取ることが-できる-か。彼の崇高な儀式において彼の眼球は生け贄だった。彼の声は神聖さに満ち溢れたエネルギーの発散だった。熱狂的忘我に陥ったのは彼と私だった。何か至高の力の波に従いながら、私はこの呪文を心で唱え続けた。吐き気と-苦痛に満ちた…。とりわけ「私-以外の-誰が」の部分を私はひそかに強く心の中で唱えた。彼を専有したかったのだ。これが私のひそやかな愛だった。私だけだ、彼の絶叫を崇高な儀式たら占めるのは、と。
 ナイフで右目の眼球を抉り出していたとき、彼はベッドの上に座っていた。血はシーツに滴り、染み渡り、正面のテーブルにぼとぼとと塊のまま落ちた。血はどす黒かった。その際彼はヘブライ語で何かを口早につぶやいていた。おそらく聖書の一節だったと思う。私は彼に古代ギリシャ語あるいはラテン語で話し掛ける以外になかった。というのは、彼には古代ギリシャ語かラテン語以外で話し掛けることは許されていなかったからだ。この戒律に反したとき、私は、壁に取り付けられた特殊な錠前に両手首、両手足を縛り付けられ、全身を激しく鞭打たれ続けた。その後1ヶ月の沈黙行が課せられた。

彼は自分の眼球を深く愛していた。何もかも見渡せる眼球を持っている自分の境遇を心底愛していた。宇宙のはるか遠くも、物質の極微の粒子も。少なくとも機械さえあれば見ることができる。地球の裏側の人も何もかも。自身の生活のデータ化もその現われだったと思う。今見ることができないものでも、科学さえ発達すれば、原則として見ることのできないものもない。当たり前のことなのだが。彼の説法でそのことはよく繰り返された。彼はよく楽しそうにつぶやいた。見える見える。あらゆる物が見える。
 彼は見続けた。彼はこのすばらしい視力を人間の価値そのものだと断言した。視覚は能動的で、積極的に対象の情報を掴み取る。それに対して聴覚は受け入れるようで、受動的だ。だから聴覚は卑しいと。音楽は奴隷づくりの作業だといって彼は音楽を嫌った。
 こんな複雑怪奇な彼に私は惹かれていったのだった。視覚の絶対的限界を彼はいつしか発見することになる。それが今日の悲劇になった。
 彼は直接自分の眼球を見たかったのだ。だから自分の眼球を抉り出した。否、抉り出さざるをえなかった。彼には他に選択肢がなかった。そのことを知るに至った彼の冷静な理性――これに私は拍手と喝采で祝福を与えたのだ。重要なのは、眼を見るのに鏡では満足しなかったという点だ。これが彼の哲学を表している。もしも、眼球ではなくて、後頭部を見たいなどと彼が思ったとしたら、もしも彼がそんな人間であったとしたら、私は彼に近づかなかったはずだ。
 彼のやったことは、彼の考えと感情を最大限に突き詰めた結果だった。小難しく言えば、彼の行為は理性と情熱の最終的融合形態だった。それを裏返してみれば、彼のやったこと(行為)は皮肉だった。いや彼自身(存在)が、人間(類型)の皮肉だった。いや人間の方が、彼のアイロニーだった。彼にとって他の人間は野蛮な未開部族だった。
 彼が死んだ次の日の夜、私はバイクで、都心から離れた工業エリアに行ってみた。寒い夜だった。不気味に流れる汚い河に沿って走る。河の水以外全て人工だ。川の水は腐った臭いを運んで不気味な速度で流れている。この河は私に激しい恐怖を催させる。得体の知れない化学薬品が流され、危険な微生物や奇形の魚などの生き物が漂い、薬品と生物が混じり合いながら、おぞましい化学変化を遂げて、私の知識も認識も超え、そして想像さえも超えたところまで進んでいるのではないか。あまりの恐ろしさに私は河を見ることもできない。ましてや触れることなど。考えただけで悪寒と吐き気に涙と唾液が湧き出てくる。私がいままで自然だと思っていたもの全てを覆してあらぬ方向へ、まったく私の認識できない方向へ、この河は流れている。硬くて冷酷なコンクリートの堤防がこの河を取り囲んでいる。近づいたら河に引きずりこんでやると残忍な欲望をひそかに赤暗く血走らせている上水道管が、河のこちら岸から向こう岸へと架かっている。凍てつく夜空におびただしい数の工場。夜にもかかわらず、わけの分からない機械が規則正しく動いている。繰り返し不気味な音を立てながら、延々と作動が続けられる。作動の反復。この反復に私は惹かれる。大きな魅力だ。ここを走るのは初めてなのに、この機械作動の反復が毎日毎日、とてつもなく長い時間繰り返され続けてきたことが感じ取られる。規則正しい機械音の不気味で無意味な反復。反復が反復される。そしていつしか反復の反復が反復される。反復はいつしか積み重ねられ、何の意味も持たない無となる。機械たちが何を生産しているのか、どういう仕組みになっているのか、私をいつ八つ裂きにしようと企んでいるのか。それは分からない。柵があって立ち入り禁止となっている。この柵が禁の向こう側(私にとってはあの世)の聖性を生み出している。近づくこともできない。錆びた鉄くずや何かの物体が、悲惨な目にあった死体のように、ところどころに転がっている。この反復に仲間入りできないことに、私はひそかな寂しさも感じる。それでも、ここでも怪物=機械が儀式を反復していた。そして反復しているということに間違いはない。このことを発見した私は、彼が私をここに連れて来たのだなと思った。彼方には何十本もの巨大な煙突から、不気味なほど静かに流れる真っ白な煙の束。こっそりと夜空を蝕む毒虫だ。やましさと悪意ゆえに見つからないよう、音もなく夜空を食い荒らす。けっこう長い時間、私はバイクで走った。だが人間はどこにも見当たらない。完全に無人だ。たまに、まったく喩えることのできない異臭が漂ってくる。
そんな時、人間が降りだした。凍てつく夜だった。あまりにも大量に降ってきた。落ちてくる人間たちは、僧侶の黒装束あるいは白装束を着ていた。そして安らかで穏やかなレクイエム、イル・マグナニモ・ピエトロ(il magnanimo Pietro)を透き通った声で合唱しながら、頭から逆さまに落ちていった。

大量の流れ星のようだ。月明かりの安らぎと冬空の陰鬱さが、不思議なことに仲良く調和していた。高い雲の向こうから深い闇の方角に降り注いでいった。あちらではどうやら、また、大地が血まみれになるようだ。


散文(批評随筆小説等) 聖性、冬、機械 Copyright ケンディ 2008-01-07 18:54:12
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