春へ
佐野権太

一、たらちね

ふるさとの町は
訪れるたびに輪郭を変えてゆく
けれど
夕暮れどきに帰りつけば
あいも変わらぬ暖かさで
湯気の向うから微笑みをくれる
あの人のおかえり

ただいま、という言葉に
ありがとう、の意味を
うまくのせられただろうか



ぬるい酒にもたれながら
あの人のりずむに揺れている
慌ただしい街を背に
本当は
何もかも打ち明けたいのだ
けれど
やはりあの人は
心配症だから



凍える布団の奥
爪先に触れたのは
何もかも見透かしたような
湯たんぽ

母よ 母よ
その小さな
ふるえる手で





二、リセット

階下は
しん、と寝静まっている
国道を通り過ぎる波音が
あらわれては
真っすぐ遠ざかる

ここへ来るとよくわかる
やはり僕は
焦っていたのだろう

またひとつ
潮騒が貫いてゆく
胎内の静けさで

―――リセット

あといくつか夜を越えると
正しい月と書いて
春と呼ぶならわし





三、初詣

今年は厄年だからと
背を押され
少し遠い神社へ出かける

考えてみると
前厄、後厄
家族の厄も自分の災厄だとすれば
生きているだけで厄だらけという
大変かなしいことになってしまう
どうりでこんなに賑わうわけだ

お袋は
ボケ封じ観音にはじまり
安産祈願の地蔵にまで
まんべんなく
手を合わせている

子は
太い綱を持て余し
しゃがれた鈴を鳴らしている

分厚い階段の木目を踏んで
赤白の境内に立ち、願う

(どうか、おだやかでありますように

放った賽銭が
乾いた音をたてて吸い込まれてゆく
その薄暗い
ひとつぶの行方を覗いていると
子が、肩にもたれた







自由詩 春へ Copyright 佐野権太 2008-01-07 17:32:01
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