[孤独の算式]
東雲 李葉
孤独だ、と言えるうちは
本当の一人ではないのだと
今更のように 知りました
孤独だ、という認識は
一人ではない時が在る
という前提のもと成り立っていて
今 この部屋に一人分の質量しか
ないこととは、
≠ でしか結ばれないのです
向かいの家では家族たちの
幸せな食卓を囲む団欒が
隣では恋人たちの
吐きそうなくらい濃厚な営みが
自身で自身を温める私の耳に流れてくるのです
私は 孤独だ、と
軽々しく言えてしまう私は
実はどこも孤独でないと、
心のどこかで言い聞かせている
音の無い部屋の中では
私自身が楽器となり
誰かの娯楽を満たすように 歌う
誰もいないのに 誰か のために
繋がりを持たない声が音が
冷え切った耳に流れることは
どこか異国の音楽を
意味を持たないものとして
聞き流してしまうことと
見事なまでに = で
結ばれてしまう 私は誰かに与えたいのに
孤独だ、と言えるうちは
本当の一人ではないのだと
今更のように 知ってしまった
望んでも 遠ざけても
私の五感が生きてるかぎり
私は一人になれないだろう
一人になることとは
永い眠りにつくこととさえ
= では なくて
誰もが私を忘れても
私がそれを 認識 すれば
私はどこかで誰かの肩に寄り添っている
たとえ私が 死 ん でも
それは = 孤独 でないと
言い聞かせている 私は私は孤独である