Feel Good Inc
影山影司
昔付き合った娘が、Gorillaz聴いてたので
Gorillazを聴くと彼女を思い出す。
一年会わないと顔を忘れ 二年会わないと名前を忘れ 三年会わなければどーでも良くなる。
僕は多分、愛情に関して幾らか欠落してるんだろうナァ。と考える。
今日は「誰のために書くんですか?」と尋ねられ
「んなもん俺が書いて俺が読んで俺が構成して俺が破壊して俺が書き直して俺が評価するだけだよ」と言ったら顰蹙を買った、気がする。確実に、適切な理解は示してくれなかったと思う。色々説明しても良かったが、説明して伝わるなら、作品を読んで伝わるはずだと信じて辞めた。それに何より、僕は、説き伏せる作法を知らない。
此処最近何度も書くけれど、僕の知る限り「他人のために」書いてる人間は少ないと思う。
殆どが、コミュニケーションツールとして小説を書くのだ。
僕はそういうのは嫌いである。
小説が第一に在るわけでなく、小説を介して友人が欲しいのだ。
僕はそういうのが嫌いである。悪いとは思わんし、思いっきり偏見だが。
真実の愛が心に在り、伝えたい言葉が在り、大切な読者が居るならば遠慮無くオーダーメイドストーリーを書き上げるがいいさ。
フェチズムの欠片も無く、エネルギーの残り香も無く、明確なマーケットリサーチも無い輩が、「読者が第一」っていうスタイルを取るのはどうかと思う。
愛が無い。そんなものに愛は無い。
自分を優先しておきながら、他者を優先したかのように気取るのは辞めてくれ。
他人を弄ぶな。と言いたい。
読者が最高で、読まれる事が唯一無二の絶対条件ならば、ケータイ小説でも書いてろよ。
デカいマーケットと、明確な方向性。これほど攻めやすいジャンルは少ないぜ。
それじゃ起たないから、満たされないから、テメェ勝手なモノを書くんじゃないのか。
どれだけ褒められても充たされないだろう。どれだけ書いても充たされないだろう。
だから書き続けるんじゃないか。自らのエゴをぐちゃぐちゃにして一歩一歩前進して、人からバカにされても進むのを諦めず、ただひたすら繰り返すんじゃないのか。
どうしてどいつもこいつも、嘘つきのヘタレ野郎なんだ。
愛が無い。ちっとも愛が無い。自らにも、他人にも、愛が無い。
僕は小説を書きたい訳じゃない。
だから「僕の作品ってちょっと変で……これって小説ですか?」なんてほざく輩が嫌いだ。
僕は詩を書きたい訳じゃない。
世間のどいつもこいつも勘違い野郎ばかりだ。
ショーセツだの詩だの、そんなものは後付でカテゴライズすれば宜しい。
最重要項目は別にある。面白いか、伝わるか、自分らしいか、売れるか、美しいか……etc。
与えられたパズルで遊んでる愚図には分からない領域に脚を踏み入れたいのだ。
彼等が三つのピースを与えられたなら、僕は百のピースを揃えよう。
彼等が平面のピースで遊ぶなら、僕はそれを重ねて塔を作ろう。