鳥が死なない
楢山孝介

 寝る前に、一日が終わる前に、鳥が死ぬ話を書こうとしたが、鳥の死ぬ姿を見たことがないので手が止まった。鳥の死体はいくらでも見てきたが、鳥の死ぬ瞬間は見たことがない。いつでもどこでも鳥は死に続けているのに。

 鳥が飛ぶ話を書こう。今日も今も鳥は飛んでいる。昨日も飛んでいた。明日も飛び続けるだろう。飛び続けた後いつか墜ちるだろう。墜ちて死ぬところを、死んでから墜ちるところを僕は見ないだろう。飛ぶ鳥の姿を、木や電線にとまっている鳥の姿を、河原や海辺で羽根を休める鳥の姿を僕は見るだろう。飛べない僕は見るだろう。僕の見た鳥たちはいつか死ぬだろう。鳥を見た僕もいつか死ぬだろう。

 どこか仕種が色っぽい鳥は全て雌だと信じた。雄々しい様子の連中は皆こちらの目玉を狙っているように見えて恐れた。地面に落ちた燕の雛鳥を助け上げたことがあった。僕は肩車の下になって、友人が巣の中へ雛鳥を返した。雛鳥は死ななかった。友人もその頃はまだ生きていた。友人が死んだ話を書こうと思ったが僕の腕の中で死んだわけではないからうまく書けない。鳥も人も今も今もまた今も今もまた今もそして今も死に続けているがそれらを全て記せるわけではない。生きている僕はまだ死んでいない。

 鳥が死ななかった話を書こう。
 今日、鳥が墜ちるのを見なかった。
 鳥が血を流すのを見なかった。
 鳥が轢き潰されるのを見なかった。
 鳥が撃ち落とされるのを見なかった。
 鳥を殺す夢を見なかった。
 鳥を殺さなかった。
 鳥を見なかった。

 一日中家にいた。明るいうちは外を見なかった。陽が暮れてからはカーテンを閉めた。鳥は窓を破って部屋に飛び込んでこなかった。昨日は大気が澄み眼が冴えていて遠くの山の木々が恐ろしいほどはっきりと見えた。今日は冴えない眼で部屋中を見わたしていた。名画のポスターはもういらないなと思ったが高いところに手を伸ばすのが億劫なのでシスレーもパウル・クレーも壁に貼り付いたままだ。カレンダーを破るのは明日だ。どこにも鳥のとまらない壁、床に積み上げた本、どれも寿命が近付いている家電、その他どうでもいい何か。昔はこの部屋に友人が訪ねてきた。昔はこの部屋で恋人と交わった。それらを見ていた僕の視線の先に僕はいなかったのでまるでこの部屋に僕はいなかったみたいだ。鳥たちは今も部屋の外で飛び続けている。僕はそれを見ないから彼らが墜ちるところも見ることが出来ない。

 鳥が死ぬ話は文字で書かれているのでその中で鳥は死ぬことが出来ない。記された死や血や墜の文字は死ぬことも血を流すことも墜ちることもない。鳥は死なない。鳥は死ねない。鳥は血を流せない。鳥は墜ちない。鳥が見えない。鳥を殺せない。

 カーテンを開けても今は夜。闇の中で鳥が飛んでいようと鳥が墜ちていようと鳥が死んでいようと見つけることが出来ない。

 眠れない鳥は今も起き続けている。
 死ねなかった鳥は今も飛び続けている。


自由詩 鳥が死なない Copyright 楢山孝介 2007-12-18 23:25:38
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