海遊底辺 
藤原有絵

どういうわけか
暑さにとんと弱く
夏の多くは廂の内で過ごす

生きにくい季節なのだな

私はそう解釈している


極々私的な話がある
と友達から連絡があったので
私は誰にも秘密が漏れないように
水族館の底で会いましょう
と黒い電話で告げたのでした


大きな水槽の柱にそって
螺旋状の回廊をどんどんくだっていくと
纏っている 様々な
不要な感情を
浮力が取り去っていく

水底では 戦う必要がないってこと

サメを見ながら
タコのマリネを食べて
ウエイターに水のおかわりを頼む
水が美味しいのは
正しく思考が機能している証拠でしょ


彼女の話は本当に長くて
私は小一時間ほど一言も口を挟まなかった

敢えてソーダ水をすすめて
その甘さでやっと
彼女は私に気づいたみたいだった


小魚たちが獰猛で大きな生き物を擬態して
私の斜め上を泳いでいく
厚みの無い強さで
一匹のエイが真ん中からそれを崩す

散り切りになって
また集う

それが習性 なんでしょ


彼女が左手で顔を覆って
銀色の指輪に水滴が滑っていくのを
ぼんやりと眺めていた


二人だけど
二人ではない

その事って
そんなに君たちを苦しめてしまうんだ


言葉も思いも尽くせども

あと少し

足りない なにか


私ののど元でざわついたそれの名は
私がいつか水底で捨てたものだった


でも
それはいつでも正解じゃない


私は唇を噛んで
彼女の手を取り浮上する


地上へ戻る一寸前
生きる為の装備にともなう
強い目眩の向こうに
魚達が文字を擬態する

さようなら また来年 と 


言葉も熱も飲み込んで
浅い呼吸で駅へ向かう


彼女を切り裂いた
たくさんのものたちへ
憤慨すると同時に
私は私が切り裂いたものたちへ
許して欲しいと願っていた

二人ですいすい泳ぎながら
私は乾いた唇を一度舐め


生きにくい熱波の世界へ
私と彼女と
私たちが愛する人たちへの

蘇ったばかりの
瑞々しい言葉を絞り出そうとしている


それは
いつも正しい訳ではない

それでも
私たちは
そういった習性を持っている

私はそう解釈する事にする






自由詩 海遊底辺  Copyright 藤原有絵 2007-11-29 20:25:12
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