初旬、二七日
鴫澤初音
妹はよくセックスは嫌いだと言った
「恋人も嫌いさ だって鬱陶しいもん 恋って何だろう ふん
そんなもんがあるとしてさ
・・・私さ ね 人が隣にいる体温が、熱さが好きなんだ
だから セックスなんてなくてもいいんだ」
そう言って ごろんと裸でベッドに横たわって手の平サイズの
胸をペタンコにして まるで少年みたいに両手に本を持って
読み始めた 窓から
風が吹き込んで 髪がさわさわと揺れていた 眼を真剣に
潤ませて 文章を追う妹の 開いた唇がかすかに動いていた
風が 夕刻になりかけのきれいな空の匂いをさせて
シーツに起きあがった素肌に気持よかった
いつか
猫が死んで 初七日が過ぎた
名前もつけないうちだった 妹は泣いて
泣いて 泣いて 眼を開けられなくなった
「ああ いつもこんなことばかり だね
――――だね、」
心が どこにあるのか知りたかった、
妹が言った言葉 を
一つ一つを追いかけている どこを見つめ直しても
足りなかった 小さかった猫の墓に花を溢れるほどさした
あれから花を美しいと 思えなくなった と
妹はあわせた手をほどいたずっと後で言った
「だって 花は無条件に美しいけど今じゃ
どの花を見ても あの猫が下にいることばかり 考えて
しまうから
ねえ 悲しさって何
あのこ
もう死んじゃって してあげられることなんてない
私が泣いてそれで どうなるんだろう
ああなんて 馬鹿 馬鹿みたい」
泣いて
猫が死んでいた縁側で 夜明け立ち尽くしている
妹はぴんと張った視線を揺るがすことなくどこかを 見ていて
そうして 手をかけた柱に刻まれた背の高さの年月が
どのようにして 妹を押しつぶしていったのか 考えていた
生きれば 生きるほど 苦しかった
心が どこにあるのか 知りたかった
泣いて
叙情って何
お揃いの服を着ていた昔 男も女もなかった
誰もが誰かを好きでいて 些細な事も 軽く過ぎていって
風をきって 駆けていて 初潮も夢精もなかったって
知ってた?
あれほど真剣だった想いがどうして消えていくのか
わからなかった
愛が滑り落ちていく 猫が死ぬみたいに 悲しくなかった
いつも ただがっかりして 終っていった
「愛って何 愛ってセックス?」
雨が降っていて 学校帰り
家の鍵を忘れて 入れなかったまま 軒下で待っていた
ずっと待っていた
雨はさあああと降っていて 霧みたいに視界を白くさせた
教室でいつも一人だった 誰かに話しかけてもらいたいと
思ったこともなければ 誰かと話したいと思ったこともなかった
ただ早く終ればいいなぁってそれだけ考えていた毎日
毎日 だけど泣きたかった 眼を長く瞑っていれば
涙なんていつだって悲しみとともに湧き出てきた 何が
悲しいのかなんて わからないうちに
緑に縁取られた塀の向こうに何があったかな
雨に煙って見えなかった 猫を埋めた丘はずっと先だった
教室が騒がしかった 頬杖をついた机の上をぼんやりと
思い出す
心が どこにあるのか 知りたかった、 妹の、言葉
今更 思い出す