眠りがすべてを抱きしめるなんて嘘さ
ホロウ・シカエルボク




瞳を閉じて
静かにしていなよ
いまのおまえには
むずかしいことが多過ぎる
瞳を閉じて
自分が呼吸している事を確かめるんだ
空気が鼻から来て
また出て行くのをたしかに感じるんだ
世界は残酷だけど
それでお終いになるわけじゃない

郵便受けの中で取り忘れた手紙が
冬の初めの陽射しを受けて赤く変色する
手遅れかもしれない便りを目にするときに
手遅れであって欲しいと考える事は別に悪いことじゃない

マクドナルドで落とした小銭を拾う
女子高生の足元に感動してはいけない
そいつはすでに汚れたものを咥え込んでいる

廃墟のビルの
屋上に腰を据える鳩
届かない声で鳴くのはそのほうが気楽だからだ
誰かに触れるのは怖い
おまえだって本当は気づいているんだ
見つめようとしたら
飛び去って行ってしまうよ
エンブレムのように路上でひしゃげた姿に
もしかしたら明日出会うかもしれないけれど

スタッカートでアンドロイド
おまえにはそれが出来なかった
長く続く歌声をすべて聴こうとして
目の前を通り過ぎるものをあらかた見失った
何かが渦巻いている事はかろうじて判るけれど
言語化するときにどこかしら間違えてしまう
他人の顔を見ることが嫌になった
探るような視線にどうしてもイラついてしまうから

信号が変わる前に渡ろうとする事が嫌になった
込んだ歩道をなんとしてもすり抜けようとする事が嫌になった
取るに足らない喧嘩をいちいち買うことが嫌になった
それが大して意味もないことと知っていながら今まで繰り返したのは
それがなければ何も無いかもしれない自分を知ることが怖ろしかっただけ

河縁のベンチに腰掛けた寒い昼間
向かいのラブホテルから一台のタクシーが滑り出す
中に乗っている男女はお世辞にもまともには見えなかった
おまえは失うということはある意味で楽なことだと
それは捨てるということよりは多分ずっと楽なことだと
缶コーヒーの甘味に顔をしかめながらそう考えている
失う事の方が楽なのは知れた事
荒れた気分のときには誰かのせいに出来るからね

シーラカンスのような黒雲が辺りからはぐれて
たったひとりだけで空を泳いでいた
おまえはひれの形を真似して
今にも川面に跳ねそうになったのさ

国道には増えすぎた車達が消化不良を起こしている
ハンドルを握るひとりひとりの
顔を見ながらお前は考える
(こいつらひとりひとりがこぞって楽をしたがるからこんなことになるんだろう)
そしてそれはあながち間違いじゃない
エンジンの名前がステイタスになった馬鹿げた時代があったもんだよ
もう二十年くらいは前のことさ
自分の名前よりも先に
お題目にすがらなきゃならないやつらがきっとたくさん居過ぎるんだ
だからどうにもならないことが延々と繰り返される
進化するのは水冷システムばかりさ

水際まで下りたら
煙草の吸殻を咥えた魚が死んでいた
それについちゃ何の言葉もない
そんな風に死んでいく物の数が
多ければ多いほど現代という名前には価値が出る
空缶を放り投げようとオーバーハンドの構えを取ったが
思い直してまた握りこんだ
誰にも見せないところでこそ戦いは勝利しなければならない
河原のゴミ捨て場に放り込んだところで
誰かがおまえの手を上げてくれるわけじゃないが
四方を取り囲む観客どもが賞賛を浴びせてくれるわけではないが
おまえは今日何度目かの
オウン・ゴールを決める
だけど
脇にこぼれたガムの包み紙には目もくれなかった
誰もすべての責任を背負う事は出来ないものさ

瞳を閉じて
静かにしていなよ
いまのおまえには
むずかしいことが多過ぎる
瞳を閉じて



呪い言葉は子守唄のように
ただ
穏やかに繰り返せばいいから




自由詩 眠りがすべてを抱きしめるなんて嘘さ Copyright ホロウ・シカエルボク 2007-11-19 20:47:24
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