ナンバーワンとオンリーワン
んなこたーない

ひさしぶりにカラオケに行った。強引に連れて行かれた、という方が正解かもしれない。
カラオケだと妙に酔いの回りがはやいのはぼくだけだろうか。あの密室の感じが酔いを促進するような気がする。
いくら酩酊しても、ぼくはカラオケを自らすすんで選曲することはなかったが、
それでも「世界で一つだけの花」の途中でマイクを回されたときは、意外と気持ちよく歌ってしまった。
うる覚えでも歌えて、かつ歌いやすい平坦なメロディーというのは、
ヒット曲、それもアイドル歌手のヒット曲ならではの利点である。

そういえば、「世界で一つだけの花」がヒットしていた当時、
なにかの雑誌のコラムでこの曲の歌詞を揶揄しているのを読んだ記憶がある。
細かい論旨は忘れてしまったが、約言すれば、ナンバーワンとオンリーワンは次元が違うのだから、
オンリーワンであることがナンバーワンにならなくてもいいことを保証するものではない、
という、一見もっともらしく見えて、その実、まったく説得力に欠けるものであった。

オンリーワンとはそのものの存在に対する全肯定である。
となれば、競争による順位付けと相容れないのは当然である。
そこからすすんで離脱したものにとって、ランキングなどにはなんらの価値も認められない。
これは広く言えば、文明一般にたいする訣別である。
というのも、文明は競争が惹き起こす進歩によって育まれるものだからである。

ここで、文明からの離脱者であるヘンリー・ミラーを引用してみよう。
「文明とは、麻薬、アルコール、戦争の道具、売春、機械および機械の奴隷、
 低賃金、粗食、悪趣味、監獄、感化院、精神病院、離婚、背教、野蛮なスポーツ、
 自殺、幼児殺し、映画、いかさま、煽動、ストライキ、ロックアウト、革命、
 一揆、植民地政策、電気椅子、断頭台、破壊行為(サボターシュ)、洪水、
 飢饉、病気、ギャング、金満家、競馬、ファッション・ショー、プードル犬、
 唐犬(チャウ)、シャム猫、コンドーム、ペッサリー、梅毒、淋病、狂気、
 神経症、等など」
こうしてヘンリー・ミラーは文明への罵倒を列挙するが、それがまたいかにも陽気であって、
すくなくとも厭世感は漂っていない。
よく言われるように、かれはソロー、エマソンといった系譜に繋がる、
反アメリカであると同時に熱烈な愛国心を持つアメリカ人である。
ヨーロッパ生活が特にそれを培養したのかもしれない。
また、かれが高い教養を身につけたノンポリである点も重要である。
結局、かれの文明否定は逆説的に現状肯定にしかなりえず、
オーウェル流にいえば「静観主義」の域から抜け出すことは不可能になってしまう。
ミラー自身、経済的、政治的な問題解決というものを信用していない、と公言してはばからないのだから、
何か生まれ持った心情的な側面が大いに作用しているのかもしれない。

ぼくもまた、進歩、進化、成長、成熟、発展、進展、前進、向上、等など、
この手の語彙を抹殺することに躊躇をおぼえない。
ぼくが苛立つのは、現在の生活のそれも大部分が未来に侵食されていることである。
ナンバーワンを目指すためには、あるいはナンバーワンを維持するためには、
「今」を犠牲にしなくてはならない。
受験は学歴に、学歴は収入に、収入は生活の安定度に繋がる。
給料は保険やら積立やらで引かれてゆくし、貯蓄だってしておかなくてはならない。
今日の食べ過ぎは明日の肥満を惹き起こすだろうし、夜更かしは美容の大敵である。
そういったモロモロの事象がぼくにはとうてい我慢できない。
ぼくは江戸っ子ではないので、宵を越しても翌日の朝に困らないだけのお金は取っておくが、
何も好きこのんで、未来のためにreserveする気はさらさらない。

以上が、ぼくのぼく自身によるぼくのための弁明である。
というのも、家に帰ってきて、財布に小銭しか入っていないことに気がついた。
ただし、これはカラオケの次に行ったキャバクラが原因だと思われる。
ちなみに、その店のナンバーワンの娘はぼくらの席に一度もあらわれなかった。


散文(批評随筆小説等) ナンバーワンとオンリーワン Copyright んなこたーない 2007-11-19 02:13:07
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