詩
わら
ここに来させていただいて、
1年が過ぎました。
多くの方々の詩を読ませていただけたこと、
そして、多くの方々に私などの詩を読んでいただけたこと、
こころより感謝しています。
ありがとうございました。
私は時折、自分の居場所を見失います。
孤独感はぬぐえないままです。
だれにも必要とされていないのではないかということへの怯え、
だれにも理解されないということへの苦悩、
そして、
だれにも愛されないという孤独。
そんな私にとって、
ここは大切な場所になったように思います。
詩は、せめてもの救いでした。
ゆき場のない慟哭にとって、
せめてもの逃げ場のようなものだったかもしれません。
私は詩を
遺書のようなつもりで綴っています。
ぽたり、ぽたりと
こぼれ落ちるようにしか描けません。
めまぐるしい苦悩を
うねる感覚を
どうにか昇華させようと
終末を迎えるような心地で書き残しています。
ゆれています。
希望を求めようとも、
誠実に、愛の姿を問いかけようとも、
己を突きつめ、
真に見つめようとする度に、
やはり、この内にひそむ
妬み、不純、欲望を目にしてしまうのです。
純粋を
望めども、望めども、
真に届かず、
そして、ただ、
人を愛する資格さえなかったのではないかと
思うのです。
もしも、だれかに愛されたなら
未来は変わっていたかもしれない
と、幾度となく言葉はこぼれ、
そして、
存在意義さえも見失った自分は
この世界にとって不適格であったことを悟るのです。
日々の些細なことにでも痛み、
それでも、人々の前では
何事もなかったかのように笑いつづける、
どこにも居場所のない私にとって、
詩は
せめてもの救いでした。
わらのように儚くとも、
それにすがっていたのです。
1年という月日は長いものです。
そんな日々の中、
ここで詩を表していくことで、
多くの方々と出会いました。
そして、
別れもあったと思います。
詩書きのくせに、
どのような言葉を放てばよいか
見つかりもしないせいで、
ろくに言葉をかけることも出来たことがありませんが、
暗黙のうちに
いなくなってしまわれる方々にも
数多くの痛みを感じてきました。
その消耗も、
すこしずつ、溜まってきています。
詩を通しての出会いは
かけがえのないものだと思います。
私はお返事のときに、
よく、「救われる」という言葉を使いますが、
ほんとうに、そう感じています。
わらにもすがるように、
詩を書くことで痛みを和らげ、
それを読んでいただき、
評価してもらい、
コメントまでいただけるときには、
様々な日々の中で、
そのひとつひとつが、
ほんとうに、こころの救いのように感じられるときがあります。
「生」をつなぎさえ、したかもしれません。
乱文、駄文となりましたが、
この書で、真に伝えたかったことは、
その感謝であります。
私は、これからも詩を書いていく中で、
希望を見、
絶望をし、
または刹那と欲望に沈み、
己をみつめては、
あえてこそ、
醜さと皮肉をさらしてゆくこともあるかもしれません。
まさしく、
ゆれつづけています。
この哀れなこころが、
どのように生きれるのかも分りません。
それでも、
読んでくださる方々への感謝の念は
決して、忘れることはないと思います。
この場を借りて、
改めて、
ありがとうございました。