誰かに頼まれて
夜のオフィスに出掛けた。
最寄りの地下鉄の駅は
アールヌーヴォーのオレンジ灯で
ひとがたくさん歩いていた。
あなたを知ってるわ、と 話しかけられ、惑い、通り過ぎる。
そのオフィスに行くのははじめてで、
自分がなんの仕事をするのかも分からなくて
とりあえずガラスのドアを抜け
最上階の部屋まで上った。
そこは窓一面がガラス張りになっているところで、
影のようなひとたちがたくさん、仕事をしていた。
あたしはガラスから外を臨むようなデスクに座るように促され、
鉛筆と、方眼紙を渡された。
そこにはたくさんの目盛と基準が書き込まれ、
時間軸や、時空の動きをメモする欄があった。
あたしが仕事に戸惑っていると、
一人の男性が近くにやってきて、
「外をごらん」 と言った。
いつのまにか
まわりの影のような人たちは、すうっといなくなり、
(どんどん薄くなっていった、というのが正しいかもしれない)、
部屋にいるのはあたしと彼だけになっていた。
外を見渡すと、
それは 宝石の屑をちりばめたような夜景で、
斜めにそびえたつ時計台や
ちいさな火のいくつも揺れる灯篭を流したような川や
灯台や 飛行機を迎え撃つ煌くビル郡や
童話の挿絵のように
美しい細胞の果ての果てのように
暗闇にそれらは広がっていた。
「ここから見える 流れ星や 雷の落ちた場所を、
その方眼紙に書き込んでもらいたい」
と、彼は言った。
「そんなことできるの?」
と あたしは狼狽したけれど、
「できるさ」 と 言われ
また窓の外に視線を戻した。
方眼紙には
隕石が落ちた時に書く欄もあり
隕石の種類別に 違うマークを書き込むように、と指示が書かれていた。
あたしはずっと窓の外を見ていたけど、
隕石どころか、
雷も落ちないし、流れ星も 落ちなかった。
彼はそのまま横にいて、
何も喋らずに何かの仕事をしていた。
あたしはただ呆けて、眼下のパノラマを眺めていた。
突然
これがすべての世界なのだ、と 理解した。
メトロの駅も、オフィスも、ひとだかりも偶像でしかなくて、
それらをただ 時計台の鐘を鳴らすように
世界を管理する
それが あたしの仕事なのだ、と。
突然目の前が明るくなり、
とても大きい 白く
蒼く澄んで 光り灯された まるい星が
ぽっかりと浮かんだ。
月だ
異様な大きさの 月の出現は
驚くどころかあたしたちを喜ばせ
となりにいた彼は
ガラスの窓をあけて、外にでようとした。
窓の向こうには
わずか10センチほどの 窓枠のさんがあるだけで、
彼が外にでてしまったことに
あたしは 今度はひどく悲しくなった。
彼は月の白い灯りを存分に浴び
頼りない足元を 気にも留めていないようだった。
地上はあまりにも遠く、月の方が近いかもしれない。
窓枠を唯一つかむその指を
あたしは すべてを動員して祈ったように思う。
彼は無事にオフィスへとすべりこみ、
月はまた遠ざかっていった。
あたしは何も言わなかった。
「怖かったでしょう? きみは こういうのが嫌いだから。」
と、彼は 言った。
あたしたちは、またもとの仕事に戻った。
流れ星も、雷も、隕石も落ちない。
目の前に広がる 言葉では言い尽くせない夜景。
夜はあけず、均衡の美しさは衰えず、
あたしたちは いつまでも 世界の管理を続けた。
〜世界〜