あの日、教会の裏庭で彼女は微笑みさえした
ホロウ・シカエルボク




教会の裏庭で
もう使われていない
左側面に大きな穴の開いた焼却炉にもたれて彼女と愛し合った
それをしたいと言ったのは彼女で
僕らがもう少しで別れ話をするだろうことは目に見えていた
それをしたいと言ったのは彼女だった
どことなくもう何も打つ手が無くなったふたりの空気のなかで突然に
しましょうと、はっきりとした口調で
それが欲望なのかどうかはそのときの僕には判らなかったのだけど
今にして思えばあれはたしかに欲望というたぐいのものではなかった(欲求ではあっただろうけど)
今にして思えば、たしかにあのときあれをすることは必要だったのだろう
行為のあとで少しすすに汚れてしまったブラウスの袖を見て
彼女は穏やかな表情で微笑を浮かべさえしたのだ
季節は今頃で
今年よりも少し寒い薄曇の暮れ方だった
あの日、あの教会の裏庭の焼却炉の側で
彼女はたしかにしっとりとさえしていたのだ
あれからどれほどの月日が過ぎたのか、なんて
じっくり考えてみたことがなかった
それどころか
思い出すことさえなかった
僕にとっては彼女はもう遠い昔で
『それほど印象深い付き合いではなかった』、という引き出しの中で、それは
まるで日に焼けたように色褪せてさえいたのだ
彼女は知っていた、思い出の上手い作り方を
あのときふたりが迷い込んでいた迷路がどういったものであっても
それを凌駕して余りある思い出の作り方を
彼女は
僕が彼女のすべてを忘れて
日常のなかで間抜け面をして生きる頃に
僕がそのことを思い出すというシステムをちゃんと把握していたのだ
僕は思い出す
あの日の空気を
あの日鳴いてた鳥を
あの日吹いてた風を、それがシャツにぶち当たるときのぞくっとするような冷たさを
もう触れられないのかもしれないと思いながら触れていた彼女の肌を
もう感じられないのかもしれないと思いながら感じていた
彼女の滑らかな内側を
それはまるでワルツのように優雅で
一度きりの花のように儚かったけれど
まるで日に焼けたみたいに色褪せて
まるで日向に捨てられたグラビアみたいな色だったけれど
僕はありありとそのことを思い出していた
騙されたみたいに時間が出来た
平日の午後の事だった
僕の心は
ちゃんと彼女の元にいた
あの頃よりもたしかに
あの頃よりも確実に
行為のあとですすに汚れたブラウスの袖を見て
彼女は穏やかな表情で微笑を浮かべさえしたのだ
あの日、教会の裏庭のもう使われていない左側面に大きな穴ぼこが開いた焼却炉にもたれて、そうだ
あの日そこの牧師が誰かに呼ばれて出かけていたせいだ



彼女に電話をしたくなったけど
洒落たユーモアを聞いたときみたいにくすっと笑う
人を馬鹿にするときの癖は今も変わらないだろうから




アドレスは無くしたことにしておく、いまはただ







君の手腕に感心するばかりさ




自由詩 あの日、教会の裏庭で彼女は微笑みさえした Copyright ホロウ・シカエルボク 2007-11-01 23:50:07
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