ターテン
カンチェルスキス



  

 ターテンは
 両足が不自由で
 下半身と両腕に
 ギプスのような器械を
 つけていた
 本名の達野公彦と呼ぶ者は
 誰もいなかった
 みんな彼をターテンと呼んだ
 器械なしでは
 うまく歩けなかったし
 一人で立てんからだった



 ターテンが廊下の向こうに
 現れると
 カシャカシャと機械が軋む音が
 聞こえ
 皮膚もなぜか浅黒かったから
 千鳥足の蜘蛛が
 近づいてくるようだった



 なぜターテンの
 足が不自由なのか
 詳しく知る者は
 誰もいなかった
 幼い頃からの病気のせいで
 そうなったとか
 考えもしたし
 たぶんそうだろうと
 問いもしなかった
 学校に入ったときから
 ターテンは
 ターテンだった



 さすがに
 水泳の時間は休んだけど
 他の体育の授業でも
 ターテンはみんなと
 いっしょに
 サッカーとかもした
 明治時代の学者のような
 超ド近眼の眼鏡を鼻先まで
 ずらしながら
 鈍い動きでボールを
 追いかけた
 だいじな器械を砂まみれにした



 勉強はあまりできなかった
 それにあまりうまく
 言葉をしゃべることもできなかった
 言葉の合間に
 あーとかうーが入り
 ‥‥‥で唐突に途切れることもあった
 けれど
 みんながターテン
 と口にする響きには
 蔑みのようなものはなかった
 ドジなやつがクラスに居るぐらいの
 印象だった
 だから
 とくべつ世話をしたり
 見守ったりということは
 なかった
 普通に教室に居て
 みんなは彼のことを
 ターテンと呼んでいた



 秋の修学旅行で
 ターテンはみんなと
 韓国へ行った
 行きは船の中で夜を過ごし
 翌朝着いた釜山では
 生まれて初めて
 外国の土地を踏んだ
 日本に居るのと同じように
 ターテンは
 器械をカシャカシャ言わせながら
 泥の中でも歩いてるように
 一人歩き
 丘の上の記念公園に立つ偉人の銅像を
 息切らしながら
 見上げた



 でこぼこの高速道路を走るバスに
 乗りながら
 ターテンは
 さっき巡った古墳のことや
 食べたばかりの
 チシャを巻いて食べる
 韓国風の焼肉の味を
 よく聞き取れない声で
 それほど日本語が達者ではない
 バスガイドにしゃべって
 笑みをこぼしていた
 初めての外国でみんなも少し
 浮ついてたけど
 ターテンもそうだった



 高速道路のサービスエリアに
 バスが停まり
 トイレに行きたい者だけが
 順々にバスを下りていった
 詰襟黒服の集団は
 目立った
 トイレに向かうみんなの後ろを
 ターテンがいつものように
 ぎこちなく歩いてた
 そのとき
 たぶん遠足途中だろう
 地元の小学生たちが
 ターテンのまわりに
 近づきいつのまにか囲んだ
 しばらくすると
 囃したてるような声を出しながら
 ターテンの不自由な両足を
 蹴りはじめた
 やめろ、やめてくれ
 ターテンの口の動きで
 それがわかった
 バスの中にいた担任の教師が
 障害のある子に対する理解が
 この国ではまだ十分に教育されてないんだろうと
 表情変えずつぶやいた
 バスに残ったみんなも
 ターテンをただ見下ろしていた
 溶けかけのスライムみたいに
 ターテンは地面にへたり込んで
 べつの教師が助けに来るまで
 不自由な足を蹴られ続けた



 ソウルへ向かうバスの中で
 ターテンはずっと泣いていた
 押し殺すような涙だった
 悔しかったのか
 その悔しさをどこにぶつけてよいのか
 わからない様子だった
 短髪の頭をずっと下にして
 教師の
 この国の教育は遅れてるから
 気にするな
 という言葉にも
 何も答えなかった



 ソウルのレストランで
 昼ごはんを食べる頃には
 ふだんの飄々とした
 ターテンに戻っていた
 辛さが強烈な海鮮鍋を
 ばくばく食べると
 すぐに唇が真っ赤になり
 楽しそうな汗が
 ターテンの頬を流れた
 いくつもの小皿に盛られた
 キムチの種類の多さに驚き
 鍋の最後のうどんまで
 きれいにたいらげた
 それから
 市内の観光名所をめぐるバスの中でも
 親しくなったバスガイドに
 あれこれ質問し
 言葉に慣れないガイドの困惑顔も
 気にしなかった
 そしてその夜宿泊したホテルの部屋は
 高校生二人にしては
 贅沢な広さで
 部屋の造りも豪華で
 テレビでは衛星放送まで
 見られた
 みんなも喜んだけど
 ターテンも喜んだ
 金髪のニュースキャスターが
 しゃべる英語を
 わけもわからないのに
 楽しそうに
 夜遅くまで眺めていた



 翌朝ホテルの前で
 記念写真を撮った
 みんな夜更かしのせいか
 ねむけまなこの顔で映った
 バスに乗り
 空港に着いて
 飛行機に乗った
 ターテンは元気だった
 飛行機に乗るのが楽しみだったし
 昨日の夜
 ホテルの一階の土産物屋で
 見とれてしまうほどの
 美人の店員に言われた言葉が
 うれしかったのだ
 アナタサマハ、スゴクハンサムデスネ
 ステキデスヨ
 カッコイイデスネ、ヨクオニアイデスヨ
 カタコトの日本語で
 接客用の言葉だったけど
 ターテンには十分だった
 勧められるままに
 お小遣いで
 ネックレスを一つ買った
 上機嫌に飛行機の座席に落ち着いた
 ターテンのウエストポーチには
 プレゼント用に包装してもらった
 ネックレスが大事に
 しまわれてある
 おかあさんのためのものだ
 高速道路のサービスエリアで
 地元の小学生たちに囲まれ
 不自由な足を
 蹴っ飛ばされたことも
 すっかり忘れてるようだった
 離陸し
 ゆっくり離れつつある
 ソウルの街並みを
 見下ろしながら
 ターテンはいつのまにか
 眠ってしまった
 横顔からは
 一つの達成感みたいなものが
 にじんでいた




 帰国して数日経ってから
 土産に買ったネックレスの値段が
 だいぶふっかけられてたものだと
 同級生からターテンは知ったけど
 うん、いいんだよ、と笑うだけで
 ターテンは
 卒業式のときに
 あのネックレスをつけて
 おかあさんが来てくれる









自由詩 ターテン Copyright カンチェルスキス 2007-11-01 17:24:53
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