「ベランダと猫」
ソティロ
ベランダと猫
ある事情のために
彼は夏の終わりの
しばらくの間
川の近くにある
見晴らしの悪い
アパートで
猫と暮らした
そのアパートの中で
生活、という
よくわからないものを
一通りこなした
猫に餌も忘れず与えた
以前から
彼は不思議に思っていた
並木道を歩いてゆく親子、
左右にいる両親と両手を繋ぐ子供
その様子を見て
泣きたくなることがある
失われるものを儚んでいたのだろう
瞬間は常に奪われていく
子供は大きくなって、
大きく見開いていた瞳を
見たくないもののために
いつか閉じたりもするだろう
家族はいつかなくなってしまう
そんなことを考えていた
彼が猫と暮らすのははじめてだった
はじめ、彼と猫は距離を保っていた
お互い接し方がわからなかった
でも彼が眠るとき猫はベッドに上った
彼は猫を寝室から締め出して
すうすうと眠った
そして昼間
彼が猫を触るときには猫は逃げ出すのだった
決まって陽だまりを選んで毛繕いなどをしている
でも腹が減った時には足元へ寄ってきた
ある朝目覚めた時
猫がどこから這入ったのか
彼の枕元で眠っていた
そのとき光に照らされたひげが
白くて
その時にまた彼は泣きたくなった
泣ければよかったのだけど
それは出来なかった
この猫もいつかは死んでしまう
洗濯をするのが割に彼の気に入った
自分の分だけならそうそう溜まらないし
猫は服を着ないからだ
たまにベランダに出るのも気分がよかった
日光、
彼は南向きの部屋で寝起きするのがはじめてで
直接の日の光がとても健康によさそうな気がしていた
実際のところはどうかわからなかったが
少なくとも気分は良かった
ある晴れた明るい朝
ベランダで洗濯物を干しているとき
彼がベランダに出ると猫は出たがるのだけれど
それは放っておいて彼は太陽を見つめた
りーん、と目の奥がなったようになる
干したTシャツが温い風にはためいて
彼の顔の上半分に影をつくった
彼の目のなかにはつよい白が残っていて
すこし目眩がした
空は蒼い
夏の終わりの入道雲が過ぎて
ベランダは暑かった
目が慣れて
それらを見渡して、
そのすべてにひかりが注いでいる
夏の終わりの、高くからのつよい光
すべてのものの彩度が上がって
くっきりとしていた
そんな発見をしたころ
彼は
あの空にとらわれていることに気付いた
猫はまだガラス窓の向こうで鳴いている
こちら側では蝉の鳴き声がまだ強く聞こえる
乾いた熱風が弱く
川の方から運ばれてきて
洗濯物や木の葉や彼の前髪をうごかす
アスファルトの熱せられたにおい
に汚れた川の微かなにおい
それから濃い緑が混ざる
そして日光が肌を焼く
じりじり、と
太陽、
それがそこに空を生み出していた
猫はもう諦めて向こうへ行ってしまっていた
その鮮やかな画と熱の中で
ただ太陽だけは消えそうになかった
見上げるとやはりしろく放射線をつくっている
長く見ることも出来ない
そこで
彼は自分がもうすぐ死ぬことを知った
彼は今、猫とは別れて北向きの部屋で寝起きして暮らしている