かえらぬこへ


もういいかい もういいかい
暗闇に響く声
夜はだんだんと日を食んで ほおら 冬がくるよ
寒い寒い冬だよ 秋ですら変わらずにはいられないのだよ
子供が一人 そう口ずさんで
杜若が咲いていたことも知らぬ庭を歩いてゆく
その足取りは軽く
花の残像はかき消され もみ消され 空に消えて



まあだだよ まあだだよ
夕闇は紅く
黒と海の青との間が赤だなんて 誰が思いついた
綺麗だから怖いと 黄昏は思考を夢ごと奪っていくからと
大人は一人 喉で言葉を飲み殺し
杜若が咲いていたことを知る庭を走ってゆく
その足取りは 勿論 重く
花の残像は裏切られ 美しさすら 忘れられて



いつか もういいかい の 問いかけに
もういいよ と 答える人はいるのだろうか
それは子供の母で 大人の妻であったかもしれない
でもそれは 例えばの話
子供がみなしご 大人が独りならば
ならば それならば
もういいよ と 答える人はいるのだろうか



声は返らず
子は還らず
大人は一人 孤独を抱えた明日を 重ねていった未来の日
そう 日が夜を照らしだすころ 春が来る頃
杜若とともに そっとその足を踏み出すかもしれない

でもそれも

例えばの話 で



自由詩 かえらぬこへ Copyright  2007-10-22 23:07:07
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