詩人・一期一会〜chori氏「賛歌」に見る 幸せの在り処 について〜 
服部 剛

 昨夜の「ぽえとりー劇場」のオープニングは、京
都の若き詩人・choriさんの詩を読んだ。最近
現代詩フォーラムで彼の素晴らしい詩を読んだので、
「ぽえとりー劇場」の幕開けにもふさわしい詩の内
容と思った。


  ありがとう 
  また会いましょう 
  思い出話のなかではなく 
  地続きになった日々の上で 


 1連目からなにげなくもぐっと来る言葉から、何
年も前に「Poet on the Road」という
イベントをやっていた彼の根本的な詩のテーマがここ
にある気がする。今迄生きて来た日々の中の喜怒哀の
すべてをひっくるめて、


  ひとつの歌のメロディのように 
  ゆるやかにつながってゆく 


と受容する彼のしなやかな感性を感じる。  

 3連目は、大事な誰かが作ってくれた朝食をイ
メージするが、「いただきます」「ごちそうさま」
という言葉が日常を感じさせ、 


  目をさました朝 
  綿毛を抱くようにそこにある 


という言葉に、手では掴めぬ「幸せの在り処」を読
者に提示している淡いようで確かな言葉である。  


  愛しているとは言えないけれど 
  あなたのほんのちょっとした風景に 
  わたしはときどき顔を出します 


4連目は作者であるchoriさん自身が、誰もが
そうであるように、今よりも若い頃、時に露骨だっ
た「愛している」と誰かに伝えた日々から時間と距
離を置いた現在の心境であり、求めることのみでは
知り得ぬ「幸せの在り処」がここでも語られている。 


  いざとなれば 
  ことばが伝わらなくても 
  なんとかなってしまうということ 


 詩人の彼がこう語る時、谷川俊太郎氏が「言葉と
いうものを疑っている」と何処かで語っていたこと
にイメージを重ねる。現実の暮らしの中で、誰か大
切な人と本当のコミュニケーションが交わされてい
る瞬間というのは、心であれ体であれ、「言葉を越
えたもの」であることをこの5連目は伝えている。
そして6連目にたった一言、この詩のタイトルである 


  賛歌 


という言葉を彼が呟く時、僕はましろい世界の地平
に暖かい太陽が昇っているのが見える。


  わたしやあなたを 
  ぼくら、と呼んで 
  誰も傷つかないということ 
  誰かがほほえむということ 


 昨夜のBen’sCafeで僕がこの7連目を朗
読した時、目の前に集まってくれた人々に、cho
riさんの詩の言葉が重なるのを感じ、ゆるやかな
空気の中でお互いの言葉に耳を傾けながら、そこに
誰かがほほえむような言葉のオアシス・・・そんな
場を集まる皆さんと共につくっていきたいという願
いをこめて、昨夜はこの「賛歌」という詩を読んだ。
一人の詩人が、一篇の詩の中から時を越えた場所に
いる あなた に囁く7連目の言葉である。 


  名前をつけてください 
  それから 
  小さな声で 
  呼んでください 


 本当に確かな言葉は、誰かが呟く「小さな声」に
あるのかもしれない。そして、Ben’sCafe
の黒い小さな舞台の上で語られる言葉が、集まる人
々の心と心をつなぎ得るものだと、僕は信じている。 

 「賛歌」は彼が今迄に経験したすべての喜びと哀
しみの日々を讃え、手には掴めぬ「幸せ」をそっと
抱くように彼を必要とする誰かへと運ぶ更なる明日
へ、ましろい地平をひとり歩いてゆく詩人の後ろ姿
が見える詩である。 

 人々は今日も幸せを探して街をさまようだろう。
だが、もし誰かに「幸せは何処にありますか?」と
聞かれたら、僕は「choriさんという詩人の
「賛歌」という詩の中のましろい世界の地平に昇る
太陽を見てください」と言うだろう。 





  * choriさんの「賛歌」
   詩のテキストは以下です。 
   http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=136487 





散文(批評随筆小説等) 詩人・一期一会〜chori氏「賛歌」に見る 幸せの在り処 について〜  Copyright 服部 剛 2007-10-22 12:13:08
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