[:Glass
プテラノドン
上着で頭をすっぽりと隠して、いかにも雨宿りでもするといった格好で
玄関に立つ泥棒たち二人。一方の男が合図を送り、もう一方の男が
捲れかけた網戸を気に食わなさそうに蹴破り進入する。そして、
はじまりからおわりまで、事が済むまで、十月にしては陽気な風に
歩道の落ち葉のそれと同じく、破れた網が揺れていた。
その光景がもとで、ただちに彼女が、彼らを憎むことを止める要因に
なることはない。それというのも、彼らが叩き割ったコップが、
床の上で砕け散って細かいのと大きいのがごちゃまぜとなった
G La ss があまりにも悲しすぎたから。それでも、もしも
希望を失わずに欠片をふたたび一つ一つ繋ぎ合わしたなら、
それはきっとグラスなんかでなく、もっと別の物になるのだろう―。
たとえば、教会のステンドグラスや、やり口によっては
エジソンを真っ青にさせる、今世紀初のビーカーにだって。
虫眼鏡にもうってつけ。ファーブルはちびた虫眼鏡を放り投げ、
地べたに座り込んで蟻のソーセージを焼き始める
かもしれない。しかし、そんなことが人生に起こりうるかは
また別の話。彼女の答えはNOに決まっているし、
そういった気配を、(察知することはもとより)わきまえていないと
見るや否や、皺くちゃな平手で頬を叩き、場合によっては
暖炉用の鋭く尖った杖でお尻をつつき回し、それから、それから
たとえ何もかも盗られてしまっても、親身な耳だけは残しなさい。
と死んだ彼女の祖母は言った。
祖母が死んだその時、彼女の役目は、数百人の親戚たちを前に語る
老婆の口元にマイクを近づける簡易式マイクスタンドだった。
今にも消えそうな、吐息、囁き、吐息、遠のく意識。
老婆の表情が微笑んでいるように見えたのは気配なんかではなく、
正真正銘のマジ。で、轢き殺されたアライグマの死体もある路上で
夜通し行われる道路工事の、絶対致死の眩しいライトを
直で当てられたように、不思議な開放感と真っ白な不安を感じた。
しかし、生に不安はつきものだし、不安は闇を知るための
第一段階に過ぎない。いわば、人生を彩る皺とあれ、波であれ―
あたりまえのようにこれからも、そら恐ろしい出来事が
山積みなんだろうし、万象のはじまりの光が突き刺した棒であれ、
年老いたあかつきには棒たおしゲームも終盤で
じきに誰もが、ぱたぱたと倒れておさらば。出来ることなら
始まりの合図で終わってしまえばよかったのに。
でもゲームをしないためのゲームで子供たちはよろこぶとでも?
だから―、というか少なくとも、真夜中に目覚し時計を
聞くはめになっても我慢しなくちゃならない。真夜中でも
テレビのスイッチをつければ泥棒映画くらいはやっているもの
省いて言うなれば、男たちが追い求めたのは砂のない砂時計。
もしくは、針の無い時計だった。そして、夜中に目を覚ました
彼女は、実際のところ何もせずにじっと足を組んだ格好で
夜明けを迎えただけだった。しかし、彼女は気づいていただろうか?
その間ずっと、祖母の幽霊に膝枕をしつづけたことを。
そしてもしも、ブラウン管に映る泥棒たちがそれを見ることが
出来たなら、もれなく花束を渡すことだろう。でも何のために?
求愛?慰め?彼女の冷たい意思の前で差し出される花束は
まったくの無意味だ。そして彼女に限らず、机に置かれたままの
呆れ顔の花瓶だって、花束を吐き出し―
彼女のかわりに語ってくれる。
殴り雨に打たれたこと
それに耐えきったこと
真っ青な青空に耳を傾けていた
八月の花模様の仕草が
どんなに美しかったかを
そしてその向日葵が
いまもなお
花瓶に差し込まれたままだと
私たち以外は誰も
気づかない