夢を買う男
風音
その男は
音もなく戸口に立っていた。
帽子を深く被って
顔はよく見えない。
ーあんたの夢を買うよ。
ー・・・
ーあんたの夢を買うよ。
やっと答えた。
ーどんな夢なの?
彼は中に入って帽子を取った。
思ったように
優しい眼をしていた。
ー誰にだってあるだろ?
壊れた夢、
叶わなかった夢、
砕け散った夢。
そんなものを買うのさ。
そうね。
たくさんたくさんある。
そんな夢が。
なんだかいつかこの男が来るような気がしていた。
男はわたしのこころを見抜いたように
帽子を天井に放り投げた。
そして
小さなテーブルにふたりで横に並んで座った。
ー買って欲しいだろ?
わたしは素直にうなずいた。
とても逆らえない魅力に。
ーでも何を払えばいいの?
男は笑って答えた。
ー別に。わかってるだろ?
ーうん。・・たくさん買って欲しいの。
男は私の目をじっと見つめた。
なんだか自分が透明になった気がした。
ー買うよ。いっぱいあるんだなあ。
男は苦笑して私から眼をそらした。
ーもう苦しまなくていいよ。
ーその夢どうするの?
ーどうしようかな。
はぐらかす男にわたしは粘って言った。
ーどうするの?
ーシャボン玉みたいに空に飛ばすのさ。
パチンと壊れれば
きっと楽になる。
ーそう?
今までにどんな夢買ったの?
ー個人情報の流出だな。
いたずらっぽく笑った男は
少し考えて教えてくれた。
ーこないだ買った夢は空を飛びたいって夢だ。
そのおじいさんは元パイロットで
今でも飛行機を見ると
操縦したくてたまらないらしい。
空を見上げることができなくなったんだ。
だからもう一度操縦したいって夢買ったよ。
もうはじけたから
今ごろは普通の客として
飛行機にも乗れるんじゃないかな。
ー・・そう。
いつかはじけちゃうのね。
ー嫌か?
ーううん。苦しい。でもわかんない。
ーもう買っちゃったからな。
ーありがとうって言うべきよね。
男は大声で笑って帽子を被った。
ー別に。
そしてさっと立ち上がって
戸口を出て行った。
開いたままの戸口から
冷たい秋の夜気が
吹きこんできた。
わたしは戸口に行き
男がもういない事をわかっていながら
後姿を探し
ゆっくりと扉に寄りかかった。
わたしのシャボン玉は
まだ割れないらしい。
でも夢を買う男を信じて
もう少し待ってみる。
もう少し。