私は鯨の骨になる。
皆川朱鷺
海は黒かった。
私が港から見るとそれは海、というより、ただ誰かの巨大な血液の湖にいるような感覚を催した。
異様に粘り気があった。
それらがどろーり、どろーりと、ゆっくり呼吸するようだ。
腹の上下作用のよる波が、岸辺の光に照らされ、脂っこく反射する。
排気ガスで灰色にくすんだ町から、海に向かったところにその公園がある。
日本にしてはだだっ広い手入れされた芝生を歩き続けると、海に直面する。
湾になっている上に防波堤まであるのだから、湖のような静かな海だ。
その海に添う岬の先まで続く遊歩道は、出来てからまだ日も浅く、小奇麗で人工的な美しい田舎の風景が楽しめる。
だだっ広さがそのいい例だ。
海と芝の間に遊歩道があり、遊歩道と海の間には石の階段が海へと誘うようにして設置されている。
考えてみれば中々優美な設計だ。
遊歩道は右手にずっと伸び、港の形に添って折れ、そのまま岬の先へと伸びる。
歩道の左手にはいつも海と、石の階段があり、右手には小奇麗な芝生がある。
その芝生の上には所々ベンチが置かれている。
芝生には時計台があり、白い白い電光に黒い線で時刻を示す。
子供たちの燃やす夏が、最初は豪快に海を照らし、爆音を鳴らす。
しかしそれは次第に静かに落ち着いて、手の中で転がり、最後は指先で大切に保護されるまでとなって、あっと息を漏らした瞬間、指先から零れ落ち、コンクリートに灰となる。
そして響く、静かな疲れた笑い声。
夜の海は黒い。ただ、黒いのだ。
岬へ消える遊歩道の先も、空も、一瞬の炎に映る子供のシルエットも、皆黒いが、私は海の黒が一番生き生きしていると思う。
呼吸するように上下する黒い液体は、日中の緑の不潔さとは別物で、とても美しいのだ。
人が完璧に去った後、突如、海は歌いだした。
私は石の階段に寝そべり、アルコールに脳を浸らせながら、海へと静かに運び出されることを空想する。
潮の満ちるのとともに、私は海へ運ばれる。
この黒い海へ。
そして、沈み、骨となる。
その間に吐息を付く暇のなく、決して速くはなく、棺おけがこぽこぽと海水に溺れていくように、私は物体みたいになって、こぽこぽと海の底の砂に身を横たえるだろう。
やがては幼い頃海岸に打ち上げられているのを見つけた、鯨の骨のように浜に打ち上げられることだろう。
そういう死は、詩的で魅力的に思える。
黒い液体に足をつけつつ、私は石段に身を乗せる。
空を仰いだら、星が点滅していた。
白々とした町の上にかぶさる夜空の黒も、上部は黒々としているのだろうか。
私は急にそれにのぼりたくなった。
しかし、視線を海が捕らえた途端、その気は失せ、私は緩やかに体の力を抜いた。
海は、ただ、黒い液体で、粘っこく、しかし電池の光に、てかてかと存在をこじつけていた。