機械になるためのマニュアル
ケンディ

1.心構え
機械たろうとする者は、精神から切り離されなければならない。だがさらに、自然の摂理からも切り離されねばならない。死を自然への回帰と思うことも諦めねばならない。黙々と油にまみれた沈鬱な生の反復。これを病的に続けねばならない。そこにはキシレンの芳香とモーター音と忘我がある。

2.反復されるキシレンの芳香
鉄粉、有機溶剤、タバコの煙。これらを工場の中で順番に吸入し続けること。絶え間なくこれを繰り返すこと。それによって己の在り方が機械に近づき、いずれは同化するであろうという予感を抱くこと。鉄の匂いから、己が生産者であり、かつ生産される何物かであると理解すること。

3.反復されるモーター音から生の包囲まで
暴力的な音量にもかかわらず、規則正しく、あまりにも規則正しく飛び散る鋭音に、鼓膜と胸に鈍痛と振動を受けながら、刻々と己の意味世界が切断されていることを覚悟すること。一面ずつ、着実に、切断されている。ここにあなたの大事な写真がたくさんあるとしよう。これを一枚ずつ切り刻んでいくのだ。あなたにとって意味のあったつながりが、断裂され、意味が消えていく。思い出を構成していた意味が消えていく。
思い出や、意味の集積は、歓喜に満ちた自然の生世界だった。それはやわらかい春の寝床でありあなたを包み込んだものだった。だが機械によってどんどんと切断されていく意味世界は、もはやあの輝かしい生世界ではなく、鋭角だらけの包囲網となる。包囲され、溶接され、成型され、私の意味世界があらためて生産される。そして機械となる。この手順を常に思い描くこと。

4.
己が機械化される姿を追い詰められている姿と思わぬこと。ただ冷厳に見つめ続けること。戸棚からアルバムを取り出し、己の過去が、家族の過去が写っている写真を、一枚ずつ切り刻んでいくこと。鋭角の多い思い出の断片が大量に生まれる。だがそこに写っているものは、もはや意味をなさない。歴史、文脈、痕跡は消え去る。これで用意は整った。あとは一心不乱に単純動作を反復し続けることだ。あなた達、生産機械の世界に批判や反省は不要だ。


散文(批評随筆小説等) 機械になるためのマニュアル Copyright ケンディ 2007-10-06 14:57:28
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