ジギタリス
ピクルス


「ジギタリス・ブラン」


 
オラ、妙な病気になってしもうて、体があんまり動かん。
こう、だんだんにな、体が石みたいに固くなってゆくんじゃて。
もう、治らんそうじゃわ。
やれやれ、どっこいしょ。

『あら、起きたの?』
『むう。起きた。橋田の爺さん、死んだそうじゃの』
『…ええ。なんでも急に倒れて、そのまま…らしくて』
『あそこの孫は、なんてったっけ、うちの衿子と同級だったのぉ?』
『そうそう』

陽の当たらない病室で、
老夫婦は水を飲みながら会話を続けていた。

『痛くない?』
『うへへ、男、だからの』
『痩せ我慢は日本一ねぇ』
『ふん。それよか、おまえ、いつもその服じゃないのかえ?』
『おあいにくさま。これ、気に入ってるのよ』
『そか。なら、いいんだ…衿子に会いたいのぉ。大きくなってるじゃろのぉ』
『あのこ、東京だから…』
『東京、かぁ。行ったことないわ』
『私も』


『そろそろ、お昼御飯にする?』
『そうだ、な。あんまり腹も減らんよ』
『ふふ、そうね』

それから老夫婦は、
また二人で寄り添いながら愉しげに、

水を飲んだ。
 

 



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[3]

 
「ジギタリス・ノワール」

 
『ふぅ』
と、溜息をついた自分に気付いて、
慌てて息を吸った。
『溜息つくと幸せが逃げるから、そん時は急いで吸いんさいよ』
小さかった私に、母はよく云ったものだわ。
あの人の具合いは、よくない。
病気の進行が頭までいったら、おしまいらしくて。
『いいですね、覚悟だけはしておいて下さい』
先生の言葉を思い出す度に、目の前が暗くなって、胸が苦しくなって。

『婆ちゃん、いる?』
『あら、まぁまぁまぁ!衿子!どうしたの?』
『ちょっと彼氏の車で旅行しててさぁ、近くまで来たから…』
『まぁまぁ、どうしましょ。彼氏さんは?』
『車。でさぁ、婆ちゃん、少し金貸してくれない?』
『そりゃ…あげるけど。ね、お爺ちゃん入院してるの知ってるでしょ?後生だから、後で顔だけでも出してあげて。日赤だから』
『ん、サンキュ…そうねぇ、気が向いたら』
『頼んだわよ。あ、それと、これ、あんころ餅、彼氏さんと食べなさい』

『なん、それ?』
『あんころ餅。ババア、好きなんだよね、これ』
『ふーん』
『激マズだから、捨てるー』
『へいへい』
『で、金入ったからさ』
『さっきのラブホか?』
『うふ』
『ぎゃはは』
『もう』


 




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[4]

 
「ジギタリス・サンドル」


あたしは漫画が好きなオタクな女だ。
見た目も地味っつーか、どっちかというとダサい、と我ながら思う。

そんなあたしにも彼氏みたいなのが出来た。
そんなあたしの彼だから、オタクだけどね。
あのね、
あたし、よくわからない。
手を繋いだりするのは恥ずかしいし、
一緒に歩いてても、少し離れてしまったりするよ。
デートといっても、ネカフェで、ただ漫画を読み耽るだけなんだけどさ。
黙って漫画を読んで、
時折は、あんたを盗み見てたりして、
そんなあたしは
明らかにヘンだ、とは思う。

『えーと…明日逢えるかな?大事な話があるんだ』
『は?…ん、わかった。じゃ、いつものネカフェで、10時で大丈夫?』
『…うん』

閉じた携帯を、あたし、抱き締めた。
だんだんと少しずつ、あたし、あいつ無しではやってゆけなくなってる。
まだ手は夢でしか繋いでないけども。

こないだ買ったもらった水玉のワンピースを、初めて着て行った。

『あのさ』
『ん?』
『俺、好きな子が出来たんだ』
『…』
『ごめん』
『ううん、ううん、いいの』

あたしはうつむいたまま、首を何度も振った。
水玉が滲んで、奥歯を噛んで、
微笑んだ。


 




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[5]


「ジギタリス・ロゼ」

 
『三番ホームに列車が参ります。危険ですから白線の内側まで、お下がり下さい』

いつもこの電車には、あの美しい人が乗ってる。
僕は、こんなだから、それでも見てるだけで幸せな気持ちに、なるんだな。
気持ちを伝えたくて、手紙を書いたけど、渡せないまま半年が過ぎた。

その日、あの人は痴漢に悪戯されていて、
僕は爆発しそうになったけど何も出来なかった。
近くにいたカッコイイ奴が気付いて助けて、
あの人は恥ずかしそうに御礼を云ってたよ。
いいなぁ、
それ、僕の役目だったのに、な。

その僕はといえば、その夜に三回もオナニーをした最低野郎で。

暫くすると、二人が仲良く喋るのを見るようになって、
あの人は、くすぐったそうに笑ったり、ネクタイを治したり、してる。
それからは眩しくて、よく見えない。

久々に僕は、仲間達とのパーティーに出掛けた。
会場は、いつものように静かで、グラスの触れ合う音や、ビールの栓を抜く音が、時折。

『…』
『…』
『……』
『…』
みんながみんな、手話で話すから、いつもこんなだ。
みんながみんな、さみしい瞳で、グラスを重ねた。
みんながみんな、とてもよく喋った。







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[6]


「ジギタリス・トランスパーラ」


『かあちゃん、なにか光ったよ?』
『え?何処ね?』
と言い終わらないうちに、
窓ガラスが全部破れて、熱風が吹きつけた。
『(熱い!)…なんじゃろか、これ?』
『か…ちゃん』
『依子!どしたね!』

娘の顔は火傷したように赤く腫れあがってる。
『か…ちゃん、あついよ、みず…』
『待ってな、すぐに…』
そのまま台所に走った私は急いで蛇口を捻る。
が、水は出ない。
『なに、これ?』

依子は、もうグッタリしてる。
私はパニックを起こしかけながらも、娘を背負い、病院に向かった。


地獄絵でした。
家が、たくさん燃えておりました。
人が、たくさん燃えておりました。
河の畔で看護婦さんが狂ったように叫んでいます。
『水!水を飲まないで!この水は飲めません!水は、水を飲むと死んでしまいます!』

みんな、水を欲しがって河に押し寄せていた。
看護婦さんは、泣きながら必死で叫んでいる。

『…依子、ごめんね。水は無いんよ』
『…か…ちゃ。あたし…がまんする』
『依子!』
『あ…し、いいこ?』


それきり娘は何も云わなくなった。
私は、娘の小さな頭を撫でながら、
子守唄を歌った。
いつまでもいつまでも、歌った。






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[7]


「ジギタリス・ソレイユ」
 
『…ねぇ、おとうさん』
『ん?』
『あのね、私、つきあってる彼がいてそれで卒業したらすぐに式を挙げようって二人で相談して決めたの、もう決めたの』
『な…』
(決めたのって、おまえ、まだ高校生じゃないか、彼って誰だ、日記にあった水島とかいう奴か、くそ、いやそれよりも大学くらい行かせないと別れたアイツに何言われるか、まてまて、そんな事よりも、式だって?結婚式か?だよな、そんな、そんなのって、俺は娘に振袖着せるのが夢なんだぞ、その前にもうウェディングドレスかよ、なんなんだいきなり)
『おとうさんが反対するなら、式はしないから…』
(いや、だから、そうじゃなくて、だな)
『…彼、ってのは水島君とやらか?』
『なんで名前…知ってんの?…ひどーい、日記みたのね』
『あ…いや、見ない見てないぞ』
『うそつき!』
『あ、あ、だから、あのな…』


『どうして君は辞令を受けないんだね?これは栄転だよ君、ゆくゆくは…』
うるさいな、大阪なんか行けるかよ、俺の娘は今の学校の制服じゃないとイヤだって言うんだからな。


その夜、
昔のアルバムを開いた。
それから、
久々にアイツに電話をする為に、立ち上がった。
 






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[8]


「ジギタリス・エテ」


『テル君、これあげる』
川原さんが、手を広げて差し出した。
『なんすか?これ』
『御守りよ。よくよく拝んで貰ってるから』
『ありがとうございます!』
御守りを受け取る時に、
少し
手が触れた。

川原さんは先輩の彼女だ。
俺らの高校は男子校だから、グラウンドで見学する川原さんは格好の見せ物にもなっていた。
以前に、
『恥ずかしくないすか?』
と尋ねたら
『むちゃ恥ずかしいわよ』
と云った。
あねさん、と呼んで叱られた事もある。

学校は、甲子園初出場で盛り上がってて。



九回裏、ツー・アウト、二塁に居る同点のランナーは、
俺が、
何でもないレフト・フライをエラーしたせいだ。
泣きたくなるから、歯を食いしばって、睨むような眼をする。
何の為に、たくさんたくさん練習してきたんだ、俺は、みんなは。
雨の日も、暑い日も、どんな日も。

俺は、右手で胸の御守りを強く強く握り締めた。
『どんな球が来ても、死んでも捕っちゃる』
と誓いながら。

鋭い金属音がした。

必死で駆ける俺の、
遥か頭上を
白球が追い抜いていった。

相手側の応援席の女子達が、
奇跡を見たかのように抱き合っていた。





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[9]


「ジギタリス・フリュイ」


 
薄暗い階段を降りる時にはいつも、
自分が誰かに変われるような錯覚を起こすの。
この、地下にあるバーは、
秘密基地みたくで私は気に入ってる。
スコットランド産レンガの内装も落ち着くし、
無口なマスターのカクテルも悪くないやね。
常連も静かなのばかりで、百姓みたいに騒いだり、頼みもしないのに隣に座ってウンチク傾ける勘違い野郎も、居ない。

今夜も、べろべろに酔いながら、
彼を寝取った砂糖菓子のような喋り方するクソ女に、
中指を立てている。

マスターは、私に気があるに違いない。
今夜は、特にそんな感じがして、だから確信したのよ。
妙にそわそわして、時折は私をチラチラ見てやがる。
ふ、ん。向こうからきたら寝てやってもいい、かな。
私だって渋谷で声かけられた事くらいあるさ。
ちょ、その前にトイレでチェックしとこ。

席を立ち上がろうとした私に、
マスターが意を決したような顔で近付いてくる。
(え?もう?そ、そんな急に…えと、えと、ちょ待って)

マスターは軽く咳払いをして
静かに云った。


『お客様、
大変申し訳ありませんが、
そろそろ看板ですので』






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[10]


「ジギタリス・ノワゼット」


 
古い団地の屋上は、
地上よりも天国に近いのかしらね。
ここのところ、子供達が相次いで飛び降り自殺してる。
昨日は、ベランダで洗濯物干してたら、ちょうど。
手足をバタバタさせながら
あっ
というまに墜ちてったわ。
きっと、そう、墜ちながら死にたくなくなったのね。

ふう…暑いわねぇ。
買い物に行かなくちゃ。
面倒だけど。

『あら、こんにちは』
『…』

まったく、挨拶もしやしない。
今井さんとこの息子、駄目ね。
そのくせ、私が階段を上がる時には、下からジッと見てる。
気持悪いったら。
そう、あんなのとエレベーターで二人きりになるのは耐えられないから、
私は階段を使うのよ。

汗で白いキャミが肌に張りついてる。
ゆうべ、蚊に刺された首筋がむず痒い。


『ひゃ!』
薄暗い自転車置場で
いきなり背後から抱きすくめられた。
荒い吐息。臭い。
必死であらがうけど、全然動けない。
ごつい手が私の首にかかる。
知らない顔だ。
『どうせ、どうせ死ぬ…だ』

私は無事だった。
助けてくれたのは、
今井の息子。
『最近、変な奴が後を付けてたから気になってたんですよ。
無事でよかったす』
と笑った。





*付記
(昔々の日記より)
(いつか続く、かも)



未詩・独白 ジギタリス Copyright ピクルス 2007-10-04 14:21:17
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