暁天
榊 慧
その時の感情は、諦めとも憂鬱ともつかない、郷愁にも良く似た、感情だった。
僕の視線が宙を彷徨い、何処からか飛んできたのか、花びらが横切る。
踵を返すと、また幾枚かの花びらが前を横切る。
けぶる花弁の雨が、ひらひらと舞うのを、僕は容赦なく、踏みつけていた。
あの時の自分はおそらく、只力が無いだけではなく、無知であったのだろう。
故に何の抵抗もせず、出来ず、処理する力も持たず、只、真正面から馬鹿正直に受けていた。
知られたくなかった。
見られたくなかった。
自分の、浅ましい姿など。
ふいに視界に入った大量の水に、気付けば足を向けていた。
茶色く変色した花びらがいくつも、水面に浮かんで。
緑色の変色した色が、誘う。
指先だけのつもりが、いつの間にか、体の均衡が水に向いた。
耳を叩く水音。
何処か懐かしい音がして、忘れかけていた郷愁を呼んだ。
水の中で空を仰ぐと、ゆらゆらと、茶色い花弁がたゆたっていた。
その刹那、茶色い水面から手が伸びる。
無理に掴まれて水面に押し出されるように顔を出すとそこに居た。
神様は神様らしい壮絶な微笑で、それでいて酷く残酷な顔をしながら少し楽しそうに自分を眺めている。
落ちてきた何かを受け止めきれず、水に沈む。
そのまま、還れたらと、考えた。
淡い光が降り注ぐのを見上げていると、彼の微笑に見下ろされた。
「ほら、きれいだよ。」
彼の声を追って、上方を仰ぐと、橙に染まった群青の雲が、闇を伸ばした。
その雲間から、光が射す。
暁天。
「ほら、きれいだよ。」
郷愁が、夕闇を呼ぶ。
とくとくと、心臓の音にもよく似た、夕闇を。
それでも、その夜が明けると、彼が、笑った。
それだけで、自分は、帰れる気が、
あくまで気が、した。