円空
亜樹
円空は仏師ではない。寺にいた時分はあるが、あれは親のない自分を慮った坊主が、半ば無理矢理押し込んだだけだった。
円空は仏師ではない。なので、円空が彫るものも仏像ではない。像でもない。ただの木片だ。円空はそう思っている。請われれば、なんの未練もなく人にくれてやっているが、円空にはあんなものを欲しがるものの気が知れない。ただ、無造作に自分が鑿を打ちくけた木片に、いかほどの価値があるというのだろう。いっそ一度くれてやったそれを取り上げて、火にくべてしまおうかと思ったこともある。しかし、円空の彫った木片を抱きしめ、嬉しそうに手を合わせる老婆をみると、それも躊躇われた。うまく言葉を発せない唇の慄かせ、大事にしろと思ってもないことを言った。
円空は仏師ではない。ではなぜ木を彫っているのか。それは円空にもわからない。人は円空の彫った木片を見て、慈悲深い顔をしているという。柔らかく笑んでいるという。円空はそうは思わない。図体ばかりでかいでくの坊の自分に石を投げた子どもの表情も、大水に流された母親の最期の表情も、あんなものではなかったかと思う。あれが慈悲だろうか。あれが笑みだろうか。円空はそうは思わない。だから、彼の彫った数多の木片も、やはり笑んではいないのだ。
円空は仏師ではない。けれど、円空は鑿を打つ。大も小もこだわらず、檜の幹のように太い腕を振り上げ、ただ木片を裂く。抉る。
裂けた木肌は、今日も仏の顔を覗かした。円空は仏師ではなかったので、これは木が生まれもった顔だと思った。円空はそれを愛おしいと思う自分に気がついた。そうして、今一度鑿を打った。