誰かが去ったあとを見る
モーヌ。




増水の ために

すっかり 荒れはてて しまった

堤の かよって ゆく なかを

猫じゃらしを 噛み ながら

草ひばりの 音が ほそぼそと つづく

すすき野原を 分け 入って

高原に いた 休暇の 詩人を

ふと おもう





月の 裏側を 見る ように

そんな 日よりの 昼間の 空に だって

星や 星座は いっぱいに 満ちて いて

浮雲の ふちの 枯れた庭 から 流れ星が 落ちる

ああ あの 星の 雨つぶも 望みながら 落ちて いったな...

塗りつぶす ような 青空と 地平の えくぼの なかに

そんな 綱わたりの 星

ティアドロップが 落ちて いった

あれを 眺めて いるのが 好き だった

そんなこと 遠すぎて 伝わらない 気もち だけれど

誰かを 求める というのでは なく

貧しく 広やかで すきとおった 気もち だった







たくさんの 通りすぎて いった 雨

狐が いたり 猫が ひそんだり している 雨

夏の 雨

そして きょうの 晴れまに 見ている 星たちの 雨

秋霖しゅうりんて いうそうだ

きのうまで みたいな 雨は

木の葉に 草の葉に 大地に

こまやかで まにまに ふりそそいで

あらわで 根なしで どこにも むかわずに...

生きている だけで 誰かは 誰かの 役に たって いるんだ

...と 映画の なかで 綱わたりは いって いたっけ

かれは 撲殺 されて しまうのだ けれど





また ぼくに

もうひとつの 問いが 投げかけられる

たのしい?... と

たのしいと いけない そうだ

もともと そんな ばかな 問いが

中身が うつろ だから 小さく 打たれても

大きく 鳴って しまう

苦しかったり つらかったり 運命も 死も

渦まいて 生きることの 星たちだ

たのしさなども ひとつの 星に 過ぎなく

そうして その 星たちは 意味の なかを 動いて いて

ひときわ きれいな その 星座や 集合も

生成の ときから 砕けて 流れて いって いるんだ

それぞれの 胸の なかに





ひとりで あって

ひとりでは なく

その なかを 歩いて

堤を 抜けて

川を 見やって

丘に ねそべり

森を 呼吸し

白い 砂漠を 足跡と ともに ゆく とき

ぼくの 総身に いまは ことしの 萩が

( きのうは きょねんの ばら だった )

その 白さが ひっそりと 添い

灯明を ひからせながら ふって いた












自由詩 誰かが去ったあとを見る Copyright モーヌ。 2007-09-14 07:52:52
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