色が溶けていく
宮市菜央
テレビから目を離すと、部屋が真っ白になっていた。壁には昨日買ったばかりの彼女の薄いピンクのワンピースがかかっていた。ワンピースは脱色されたように色を失ってだらりと下がっている。一人でいるのが不安になって、僕は彼女に電話した。
「ねえ、突然色が消えてしまったんだけど」
「私も今そのことで電話しようと思ってた」電話の向こうの、彼女の声は震えている。彼女の泣き顔が触れられそうなほどリアルに浮かんだ。
テレビへと視線を戻す。本体も画面も真っ白だ。だが音だけは相変わらずおめでたい笑い声を振りまいている。車のキーをつかんで僕は外へ出た。
ガレージを、見慣れた形の白い塊がふさいでいる。僕の車。キーを回し、ラジオのスイッチを入れてみる。だがスイッチはすべて白く、どれがラジオのものなのか分からない。手当たり次第にスイッチを押してようやくラジオを探し当てた。「道路は現在大変危険な状態ですので、自動車の使用を禁止します」。アナウンスが、男の声で延々と繰り返し流れるだけだった。スイッチを切り、通りに出た。
道路も白一色で、標識も中央線も看板の文字も、何もかもが消えていた。白く塗りつぶされてしまったのか、あらゆる色が溶け出して白が残ったのか。とにかく、何度目をこすったところで目の前の景色は白いままだ。向こうから彼女が走ってくるのが見えた。
「鏡を見た?」彼女が訊いてきた。「鏡?」
「私自身にはちゃんと色があるのよ。ほかの人はみんな真っ白なのに。あなたから見て、私には色がある?」僕は一瞬ためらった。目の前の彼女も白かったから。彼女はバッグから折りたたみの手鏡を取り出し、僕に差し出した。
「どう?」「ああ、僕にも色があるようだ」彼女が一瞬硬くなるのが分かった。たぶん僕も白いのだろう。
「ということは、私たちもみんな真っ白なのね。自分が気付いてないだけで」
「どうやら、そういうことらしいね」僕は彼女に手鏡を戻した。ぱちりとかよわい音を立てて手鏡が閉まった。
つめたいものが腕に触れた。「雨」彼女がつぶやく。「この白がみんな流されて、色が戻ってこないかしら」
僕は空を見上げる。雨のしずくがどんどん落ちてくる。やはり白しか見えない。