散文詩
はらだまさる
私たち 午後には散文を開いてエレクトロニカにする どうしても、というなら黒人霊歌でもいいわ だけど、こうして眼を閉じるわね 表通りのニレの木に(嗚呼、もうこんな時間)絹のつやをした鴉が居る 美しい眼をしてるの ねぇ何が見える? 熱いマテ茶を、飲みながら こうしてキーボードを弾いてると ふと思うの 散文みたいな旅に出たいわ、エルメスの鞄ひとつで ウェダはきっと 今頃キッスをしてる 彼女たち、思っていたよりも幸せみたいね 仕事を辞めて 九月の札幌に行ったことがある あの日、家具屋の二階のテレビで ちょうど いまくらいの時間に 震える世界に ただ怯えていた ビリー・ホリディのレコード・ジャケットが いつも秋を待ってる 古美術屋で買った達磨の 眼を覗いて 祖母の命日が 近づいてるのを思い出す 部屋で レゲエ・ミュージックを流していると その音楽は嫌い、というの その意味が 少しわかる気がした 手のひらの上で「人間の祈りは、つまり奇跡を祈る心だ。」と、ツルゲーネフは謂う 私たち 人が燃える匂いも知らず ニューヨークの散文さえ読んだことないのよ 達磨が 眼を合わさないの もしあなたは誰、と聴かれたら 誰でもない、って答えてやる 散文なんて ほんとうは大嫌い だけど 帰らなきゃいけない ほんの少しでも 笑顔のある場所へ 通り雨の、憎しみのその向こうへ