骨と首の話
hon

 普通のひとは自分の骨のことなど普段あまり意識しないものだが、私はこうして関節が軋るようになったので、自分の骨のことばかり意識するようになった。
 動かすたびにギイギイと大きな音をたてているようなイヤな感触であり、実際には音などでていないだろうけど、曲げたり伸ばしたりするたびにいちいち気にかかる。立ったり座ったりの動作が常に緩慢な苦痛を伴なう。それが全身のあらゆる関節におよぶのである。
 機械ならば油を差したりないような状態なのであろうが、私は人間なので関節に油を差すというわけにいかない。
 しだいに私の日常の所作はぎこちないものになっていった。
「あのう、動き……ヘンですよ?」
 と、職場の同僚から一度だけ言われたことがあるが、どう応対したものかちょっと困っていると、妙な沈黙の間が出来てしまった。それ以来、その職場で私の動きについて言及することは、何かひとつのタブーのようになってしまっている。
 そうこうするうち私はひとつの抑えがたい恐怖にとらわれるようになった。
 いつか道を歩いているときなどに、ガツンと関節にくさびが打たれたように固まってしまって、全身の動作が不能になるのではないか。
 そうなったら私はさぞかし珍妙な痛ましいポーズの像として路上に硬直し、静止して立ち尽くすに違いない。
 こんな心配はパカげた話とは思う。――そう思うのだが、間断なき関節の軋みが常にそのことを私に思い出させ、私の脳裏からその考えを振り払うことが出来ない以上、これは単にバカげたで済まされない脅迫観念の一種なのである。

 次に私は首の話をする。
 その日、あまり気乗りしない日課である散歩をしていると、道で骨を拾った。
 最初になにげなく手にとったときはそれが骨であるなどとは思いもしなかったが、その小石ほどの白い塊をじっと見つめたり触ったりしているうちに、それが骨であることは確信できた。
 人間の骨が? なぜこんな道端に?
 私は目を上げて自分の前に続いている道路を眺めやったが、どうやらそこに同様の骨の欠片が「点々と」一筋の線を描いて落ちているようなのである。
 普通の人にはそのように道に落ちた骨の跡など見えはしまい。いや、私とて通常の状態であれば、そのようなものを見出すことはできないだろうし、仮に目にしたとしてもそれが骨であるなどと意識することすら出来ないだろう。というのは、道に点々と骨が落ちているなど予想もしていないからである。だが、そこにきっと骨があるに違いないと強く確信して道路を見つめてみると、どうであろう、だまし絵が浮かび上がってくるように、骨が点々と並んで落ちているのが良く分かるのである。
 私はヘンゼルとグレーテルのパンの小片のように並んで落ちている骨の線を辿っていった。
 最初の2,3個の骨は拾って検分してみたが、それが骨であると確信が持ててからは、拾うことをせずに跡だけをつけていった。
 それは地元の中学校の正門の前を通って、まっすぐT川の方へ向かっているようだった。
 信号を渡って(そこは事故の多いT字路で、向かいの歩道脇に設置されたコカコーラ社の自販機は衝突した車だかバイクの痕でベコンベコンに凹んでいる)短い階段を上ると、見渡す限り長くまっすぐ続いている舗装された河原の土手であり、ランニングする人や、サイクリングの人や、犬の散歩をする人などが行き交う遊歩道となっていた。遮蔽物のない天空のパノラマは大きく頭上に迫り出して広がっており、晴れた大気の視界は良好で、遠くの対岸に大型ショッピングセンターが霞んで見えた。
 骨の跡はその遊歩道を横切って、土手の斜面を降りたところにある小さな祠に続いていた。そこの鳥居をくぐった正面の奥手には木造の社があり、扉は閉じていたが、その扉の前にどうやら最後らしい骨が落ちていた。
 ――この扉の向こうになにがしかの答えがあるということか。
 土手の全域はただっ広くひらけてふんだんな直射日光に晒されているが、祠の周囲一帯はブナの木々に覆われた日陰になっており、外部の空間と比べてずいぶん大気が冷えていてひんやりと寒いほどであった。
 錠などが施されていないことを確認すると、私は古びた神聖な建物の扉に手をかけて静かに開いた。埃っぽい匂いがむっと溢れ、薄暗い社の内部に三段ほどの床から平行な木組みの棚が見えた――
 その手前にそれはあった。
 もちろんぎょっとしたことを認めるのにやぶさかでないが、実際のところ、最初に骨を拾ったときから、なにか普通でないものに遭遇する覚悟を多少は固めていたので、そこにひとつの生首が置かれてあったことにひどくうろたえずに済んだと思う。
 むしろ本当に奇妙に思えたのはその生首が小さな唸り声を発しはじめたことであった。
 その生首の顎には濃い髭が生えており、頭部には乱れた長髪がぼうぼうと伸びており、眼窩は落ち窪んで、顔色は青白く、もし唸り声を発していなかったら、見た目だけでそれが死せる生首であることを私は疑いもしなかっただろう。
 私は気味悪く思いながらも、その首に顔を近づけ、漂ってくる饐えた生臭い空気に顔をしかめながら、耳をすました。首はたしかにかさついた声でしゃべっており、「苦しい、あああ、苦しい……」などと言っているのだった。
 そのうち明らかに私の存在を意識していて、私に向かって話しかけていた。「聞いてくれ、私の話を……聞いてほしい……」
 意識があるのなら会話もできるのかもしれない。「あなたは何なのです」私は首の耳元近くに口を寄せて言った。
「だが昨晩夢を見て……失われ、遠く……来た、私は……私は何なのか……と問われ……骨の……言わねば、言わねばならぬ……」
 肺も横隔膜も持たない首から、乾いた唇を割って、わずかな空気をこすりあげて出しているようなか細い声が途切れ途切れに漏れてくるのはとても聞き取りづらく、またひどくしんどそうな感じだった。
「言いたいことがあるのなら、言ったら良い。私は聞きますよ」と、私はその首に答えていた。
「聞いてほしい……私の旅、私の事情を。私は長い長い旅をした。そうしてこの地まで来た……」
 彼は語り始めた。


散文(批評随筆小説等) 骨と首の話 Copyright hon 2007-09-10 00:24:41
notebook Home 戻る  過去 未来