天国の子どもたち
モーヌ。




最初の 真昼の 星が

ことばの 紀元前に またたいて いる

やってきた 9月

地には ことしの 豊穣を

やくそく した 稲穂たちや 曇った空

透明な 稲びかりが 映る

はりつめた 水かがみの おもてに

ばらばらの 小船たちが 出帆 する

天を あおいで いつかの ように 抜けると

線路傍に 彼岸花を いちりん 見つけた

( 弱い けれど はっきりと )

知らなかった グッバイ... ハロー

きょねんの 雪の 子ども だろうか?

道を はさんだ むこうに 晶体の 輪郭が ある

歩きながら

早春に ひともとで ふるえて いた

この 地には めずらしい

わかものの 猫背が 面差す ポプラの 木を

おもって いた...

( なかなか あそこまでは 遠征 できないんだ )

谷には 影が 強く 差して いて

手元の ランタンの ひかり だけが 伸びて いた





眼を 凝らして 見つめて いると

天の 一角に ターミナルが あり

それは 雑踏 して いる

南ゆきの 切符を もった つばめの 群れたちだ

たった 2小節が とても 永く なり 得て

旅への 誘い

夜想の 夢々 を この 瞬間に とどめて

つきささるように 制空 して いる

かれらは ひとつの 音に 向って ゆき

ひびきの ひろがり のなか 消えて ゆく...

まばたき したあと ( もうしわけないと )

目線を あわせる

その 見開かれた 眼の 滞空から

はじめられた チャームが 羽ばたいて いった

...空は からっぽ で

とっくに 終わった レコードプレーヤーが

いまだ 回転 して いて

針音 だけが シーシー と だまった野と

ふれあって いる





そうして

道を はさんだ むこう には

小ぶりだが 丈高い ひまわりが

きょうの 陽気の なかに いる

その下を うすい ピンクの こすもすが

無傷な 季節と 城を 唄った...

ほら 夏と 秋が いっしょに いるよ

おさない 子どもに いった けれど

かれには 頭上を 走る モノレールが

めずらしくって 聞いては いなかった

車両を 追って あふれ かえる

ひとみの 水晶の 海原の なかを

無垢な 輪郭を 解きながら

ぼくは 泳いで 渡る

ひまわりも コスモスも モノレールも

同じ もののように もろともに 泳いで いる











自由詩 天国の子どもたち Copyright モーヌ。 2007-09-07 05:57:29
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