遅れてきた少年の一切合財(その一)
生田 稔


 遅れてきた少年の一切合財」

早いに越したことことはないそうだ
みなが早教育、早教育
僕は幼いとき、若いときは
遊びたかった
戦争の小学生、
あつちこつちへ回されて
勉強などなんにも
小手先のアプリオリ、
危ない時はカンニング
そんなことで中学を終えた
進駐軍のパンパン英語、
ラヂオのカムカム小父さん
に誘われて
英語を勉強、遊びの一種だ
好きでやつたんだから

親はなぜ子供に勉強させるのか
大学でてかな苦労するよ
母はそおいう固い信念
父は医学部を出て高給をとつたが
博士号がほしくて、大学へ戻る
子供にも妻にも、ごっつい苦労させて
やっと、学位を、
それといれちがいに戦地へ
学問に疲れた神経質な父なのに、
子はお父ちゃん、お父ちゃん
淋しい2年間、
敗戦、懐かしい「異国の丘」
焼け跡で焼夷弾の殻であそんだ、
小学五年生
甘いものはなくて
サツカリン、ズルチンなんて知ってつているかい
米不足、戸を叩いた闇屋は
一升二百円を要求、お年玉は十円の時ですぞ
学校の先生も物をくれる親の子供を
贔屓しているとの噂もあつた
僕も勉強しなかったが
もっとしなかったのでも大学でて
新聞社に勤めてるて
不幸のどん底のころ聞いた
十四歳から不良の仲間に
あいつらは気がよくって話せるし
いい奴らだと思ったから
本当にそうだった
虚飾も見せびらかしもあってもなくてもよくて
やくざのかっこ良さ
チンピラが本当のやくざだと、今でも思う
律儀にぼくもかれらも小さい仁義をそれなりに守った

彼らとも別れなければならなかった
貧乏医者でも世間体があって
いつまでも不良チンピラやくざ
ではおれなくなって
そんな世界も高校ぐらいになるといやになって
青白いインテリーは嫌いだったが
学問をやってみとうとおもいたった
孔子もそのころだったという、
漢字はだいぶ読めたが、ほとんど書けず長い間の勉強ぎらいで、
自転車の無灯火違反でひつかまつた時
始末書の住所が書けない
仮名でごまかしたと思う
その頃がたたって、今でも字が極端に下手
17、18、19、20、21、22歳
と猛勉強、結局幼い頃の英語しか手につかず
そればかりの勉強で、英文科に
夢のように心地よい、通学電車
上野の動物園で、合格の勝利感に一人ひたった
嬉しい嬉しい、あんなに嬉しかったことは、
一生に一度もない、
だけど、それからが巧くゆかぬ、
下宿では何故か憎まれる
下宿のおばさん、合い宿の学生たちとうまくゆかぬ
一学期終わっても帰りたくはない
帰郷すれば、きっと近所がうるさい
京都の不良少年は浮かばれない
後ろ指さされた、俺だもの
きっと問題になるに
そんな不安で帰郷はできない
大学でも高校でも不徳な奴はいっぱいなのに
彼らは金で解決する
貧乏医者で医は仁術の父は
いつも金ぴいぴい
食事だけはやや贅沢
母は料理下手
でも帰ってきた僕だった
近所の様子は確かに不穏

幼時のいたずらなどを持ち出して
噂は膨れ上がる
僕は総すかん
でもこうなることは
予期してた
人間の汚さを、うんと謗ってやろうと
考えた僕
ざまあみやがれと
大声で笑った僕
両手を振って大威張りの僕
嫌われるのも無理はない
京都には京都独特のしきたりが
僕は生まれは九州、五歳まで
喧嘩喧嘩の土地柄
なぜ喧嘩なのか、判らず喧嘩
牛乳瓶を投げつけたことがある
と母は後で話してくれた


僕は心が優しいのに
子犬や子猫が可哀そうで、いつも涙が
訪れてくる門付けや獅子舞には金をはたいた僕
京都京都とけなすようだが、他国の人が
くさすほど、わるいところではない、
「そんなら、お茶にでもしましょうか」は
これは訪ねた人の都合をおもんばかって
のことなんだ
義理堅くって、愛想がよくって、思いやりがある
それが京都なんだ

誰も僕を理解してくれない
俺の心を、だれぞしる
たんとは言うまい
それとはなしに、大学は追われ
精神病ということにされ
滋賀県の小さな病院に放り込まれた
社会の大列車は、かく僕を無視

それ以後、22,23,24,25,26、27歳まで
病院を転々
途中で霊の声が呼びかけてくるようになった
僕は惑った
こんなことは経験したことはない
声が聞こえると医者に告げると
幻聴ということになる
初めて入った病院で、精神病者と始めて付き合い、
精神病とはどんなものか、今までずっと観察
妄想、幻聴、うつ病、躁病、進行性麻痺、癲癇
でも、医者が定めている精神病理学の定義と
僕の経験事例とはずいぶん違う
聖書では悪霊のせいだとされている場合が多い

27歳の10月、家庭を訪れて訪問してくれた中年女性と
聖書を勉強し始める
「本当のことを知りたい」そう言った僕の言葉に
その女性は惹かれたという
3年間、27歳から、28,29,30、
聖書を勉強、詩をかく、小説にも手を染める、
英語の塾を開く、キリスト教伝道活動に携わる
父はやっと収入が豊かになり
費用を出してくれる

女に関心なし、結婚したくなし、
書をどんどん買い込む
忙しかったけれど、
なんと、充実した3年間、花が咲いた
父と母と僕の住む、父の病院の官舎、
庭が広く、花がいっぱい、
悲しみも苦しみも、
この家に、この庭に、
楽しみも思い出も、
この家と庭と京都の市街
当時読んだ雑誌と書
英語研究、英語青年、詩学
ギリシャ語、ヘブライ語の基礎の基礎を学ぶ

何故か、母と折り合いが悪くなる
西宮へ転居、アパートに住む、
29歳から30歳、
いつも自分の死を、誰もがそうだが
若死にすると思っていた、
絶望していた、
すべては空しいと悟っていた
それは十代から思っていた
自殺未遂数回
死にきれず、
だんだん、聖書に惹かれてゆく、

西宮のアパートを訪ねてくれた小笠原さん
すごい聖書通、熱心に習う
一年したら、聖書の言わんとすること
判ったような気に
未来は楽園、神の約束
予言は成就しつつあった
現代は末世
ハルマゲドンの滅び
1975年が予定年
研究に研究
確信するようになった

おおよそ30歳の年、8月27日
バプテスマを受ける
それからの事、細かく書く心
の余裕がない、反感をかうかもしれぬ
不思議なことが、それ以後たまたま起こる
自分はキリストじゃないかと疑念をいだく
バプテスマ後すぐ、全時間伝道者となる
西宮をあとに京都へ
一年の間、市内をぐるぐる伝道

仲間の伝道者は女性が多い
西宮、京都いずれでも悩む
女は避けたかった、
欲望も体から追い出そうと
懸命な努力
付き合うなら、結婚が前提
と教会は勧める
人として生まれたのなら、結婚して子を
でも女は遠ざけようと、心の諦め
教会は、私がそう望んだので転任を
まず、広島市
広島は本籍地、バプテスマはそこでの大会で
十代の綺麗な女の子に関心を
結婚したいなとも
三ヶ月で教会は、北海道へ任命がえ

旭川市
おりたてば人影もなし旭川ああこれよりは降りしきる雪
駅頭の気持ち
三十のとき歌もその他の文学などなど、すべて捨てていた
僕らの仲間はみなそうだった
普通の並みの平凡な人ばかり
聖書にもあるように
何にもしないで、そこらにいる人たち
を集めてきたって感じ
欠点か美徳かは、わからないが
世に不満がある人が多かった
ハルマゲドンが怖いのでという人も
今になって考えてみると
世の終わりとかハルマゲドンというのは
聖書の中心思想ではない
イザヤ書もいうように剣を鋤の刃に槍を
刈り込み鎌に打ちかえる
そして戦いのことは一切学ばない
が本当だ
このように、あらゆる学問や情報
文明が世界化した世にあつて
神が世界平和をもたらせられるのは
愛の表れであるに違いない
神は愛であると、聖書は述べる
自分の親が子である自分を
可愛がってくれたことを考える
とき、そう思はないであろうか
とにかく、集団にいればそれなりの
問題に遭遇する
こうして僕が書くのも
人として生きてきた思い出と
憤慨を書き綴つている分けなのだ
都合が悪いと、黙ってできるだけ誤魔化してしまおう
そんな人々に、強い義憤を感じる

寒い北海道、でもやりがいが
京都駅で父と別れるとき、うんと悪いことをやれと
何ということを、清くては渡れぬ世間
そう父は言いたかったのだろう

呑気に真直ぐにやりたかったのに
パートナーの渡辺兄弟といがみ合う
彼も土方の生活を若いときしたそうだ
男気があつても虚栄心が少ない
僕が言いたいこといっても
すぐ許す
純情だつた
俺は縁の下の力持ちになると彼と約束
彼はクリスチャンとしては先輩だったから
位は俺より上、おれは補佐
人様の後を歩めと
誰に教えられるでもなくと
今まで考えていたが
潜在意識というものはばかにならない
謙遜にということは、2年過ごした天理教で
習得していた
私たちの宗教では表と裏が強い
自分たちも良く分かつているようで
しきりに、それは人間の不完全さの所為だという
私は、地位を与える権限が上位のものにあって
地位を目指し、特権意識を持つことをドライビング
フオースとして宗教活動をするから
競争を生み、いがみ合いを生む
問題は組織の構造だった
そうではないといいつつ
ヒエルラーキーの強い社会を造っていたのだ
そうでもいいからもつと男らしく女らしい
考え方、人情に富んだやり方考え方をしたら良いのだ
永い失敗と経験のある世から学べば良いのだ
共産主義でもマルクスを読めば分かるように
理想主義で博愛主義ではないか
元は聖書に習うところが多いと言う
教条主義はどうにもならない
そんな主義にかぎって矛盾を沢山抱え込んでいる
聖書だつて他のものと相対的に在るものであつて
資本論だって神曲だって神の霊感
ないし影響の基に書かれたに違いない
エリシャは子供の悪戯を呪つて熊をよんだし
エリヤは三年雨が降らないことを祈った
矛盾は聖書にも沢山含まれている
単純に考えてよいことは何もない
こうして私の書いていることも何か差し障り
もあることだろう
だが、自分で好むなら滝にうたれるのも
火の上を歩くのも良かろう
それはその人の甲斐性ではないか
楽しむ者、歓ぶ者には誰も勝てない
あらゆる存在が許されている
尤もと思うところを突き進めばよい
人様のご迷惑になることには償いをしなければ
とにかくよく考えることだ
若い者が分別も忍耐力もないのに威張っているのは
害になるし益はない、やがて消えてゆくだろう
同志愛と謙遜のないところに、幸福も成長もない
ハングリー精神と無気力、どつちも極端は
困る、自動制御のような働きをするのが人の
助言である、お世辞もたまには言わねばならぬ
年齢と経験は尊重されねば
良いことばかりできる人はいないし
理論上も、実際的にも不可能である
今ある境遇が、それ以上はすぐには脱出できない
時間と労力と6000年のみ神の知恵と力に頼ばねばならない
わざわざ古い方の方式に従うより
意地をすてて、人には嫌いな者がいたって
子犬や子猫は可愛いぞ
雀もチュンチュンさえずつて
みんな詩だ歌だ
難しいことは、勉強するだけにして
人を馬鹿にするのはもう止めよう
憎たらしい奴がいたら、誰かにぶちまけろ
いい奴には物でもくれろ

それは、不思議だと彼は興味を
俺はキリストじゃないかと思うと言うと
それは全面賛成はもちろんしてくれないけれど
でもかれは、俺を立ててくれて
どうしようかこうしようかと尋ねてくれる
教会へも手紙を書いてくれた
僕はじぶんはキリストだと、どんどん確信
聖書を通して神と話ができた
僕も教会へ手紙を書く
返事が来ない
また書く
返事が来ない
これなら、対決しなくてはならぬと思う
八月は大会がある
そこには教会の責任者が出席する
ふと淋しい予感が
また大学と同じように、教会を
追い出されるのではないかと
大会に出かける日
兜に香をたく思いで
机の牛乳ビンの花瓶に草花を生け
歌を詠んだその歌は忘れた

              つづく









                                                  


散文(批評随筆小説等) 遅れてきた少年の一切合財(その一) Copyright 生田 稔 2007-09-06 09:16:38
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