こわいはなし
吉田ぐんじょう



家を出ると
道端に
無数の舌が落ちていた

赤信号が
誰ひとり停められなくて
途方に暮れているような真夜中だった

舌たちは
うすべにいろの花のように
可愛らしく揺れながら
あたりの夜を
すっかり舐めとってしまう
すると朝がくるのである

そうやって夜が明けることを
二十三年間生きてきて
初めて知った

舌たちは明け方の光を浴びると
しゅるしゅるしゅると消えてしまう

ジョギングをしているおじさんが
呆然としているわたしにおはようと言う



恋というものは大変おそろしいと思う
どこへ行ってもそこにある全てが
好きな人に見えてしまう

一度など
ゴミ捨て場に捨ててあるビニル袋が
力なく横たわる無数の好きな人に見えた

あるいは
コンビニの陳列棚に
小さい好きな人がぎっしり詰まって
にこにこ笑っていたこともある

このごろのわたしときたら
外出もせず
部屋で背を丸めて正座をしている
それでも
自分自身が
だんだん好きな人になってゆくのを
どうしても止めることができないでいるのだ

なんという体たらくだろう

好きな人が遠ければ遠いほど
わたしがどんどんいなくなってゆく



心臓がない人と出会った
その人は青白い顔で
体もこころも冷たいままで
それでもずいぶん元気そうだった

そうして
自分がどうやって生きているのか
全然わからないんだよ
と笑っていた

その人は指先を切っても
血が出ないらしい
ただし無闇にのどが渇く
と言いながら
途方もない量の水を飲んでいた

ようく見てみると解るのだが
その人の体は少し透けている



自由詩 こわいはなし Copyright 吉田ぐんじょう 2007-09-01 17:21:48
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