風呂敷女
白寿

その日の晩、女は禊の真似事をしに
旧い銭湯へ向かいました。
目的は不安を拭うことにありましたが、
それは体裁上の話で、本当のところは
出来もしない覚悟を決めに銭湯へ赴いたのでした。
  
ああ、そろそろいつもの風呂敷包みを出してきて、
全ての想いをひと思いに包んでしまわねばならない。
きつく、きつく、風呂敷の端を結わえて、
思い出の一つひとつを
深く、深く、仕舞ってしまわねばならない。
 
こうしてはいられない。
だって、逃げ遅れて倒れるのは私だもの……。
 
 
「紫丹の風呂敷包みを背負って、私はもうすぐ遁走します」
 
 
毎年秋になると、曼珠沙華がたった一株蘇って、
それがいつだって啜り泣いているあの路地裏を
もうすぐひとりの女が駆け抜けて行くことでしょう。
貴方様、もしそれと思しき女とすれ違っても、
どうか顔を伏せていてやってくださいましね。
間違っても声などかけないでいてやってください。
 
地べたで無数にのた打っている
恨みや嫉みやなんかを踏みちゃちゃこにして、
脇目も振らず奔り抜けたとしても
きっと逃げ切れないことを、その女は知っています。
これまでだって、不仕合わせに出遭う度、
いつだって結末はそうでしたから。
轍に蹴躓いて、汚らしい泥の中へ
身を投じるよりほかに手立てはないのです。
それでも女は疾走らずにはいられないものなのです。
そうして今度もきっと、
少しずつ少しずつ奈落へ沈んでいくのでしょう。

けれど、奈落を抜けたその先には伽藍堂があって、
その伽藍堂だけが、人間の痛みを握りつぶしてくれる
唯一の慰みだということも、その女は知っています。


自由詩 風呂敷女 Copyright 白寿 2007-08-31 17:32:27
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