ひぐらし
モーヌ。




ぼくの 住む 土地で

自然に ひぐらしの 声を 聞いたのは

10年も むかしに なる

それは かぼそく いっぴきの 系譜が

つづいて 啼いて いたのだ けれど

広かった 空き地に マンションが 建って

かれらは まったく 滅びて しまった





ぼくが 最後に ひぐらしの 声を 聞いたのは

2年前に なって しまう

野川公園の サンクチュアリ 沿いを 散歩して

美麗な 声の 大群は

やはり 夏の 夕べの 哀感を

ふかみどりを ふるわせ ながら 澄み 渡った

けれども もはや 聖域に しか

それらは いなかった





からだも こころも ひびわれて しまい

ひぐらしは とおくへ 出かけなければ

聞かれないので この 2年

からっぽの ままに あった

ぼくは 川沿いの 郊外に 住んで いる

あたりに みどりは あれども

もう ひぐらしの 声は 聞かれなかった

ぼくの 内部の 森で 唄う ひぐらしの ほかは





かなかなかな

可奈可奈可奈...

ひとり 女の子の 名まえを ノック して いた

“ きみは どこに いるの? ”

そんな チェーホフの 小説に 似て いる

きみが 着ていた 制服の

ブレザーの エンブレム には

hope faith love... と 刺繍されて いた

ことの葉も 想いも みな

すっかり 見失われて

それは ひとりから 誰でもない

名まえ への 推移を ひびいて

ぼうっと 明るんで いる

開かれた 古書の ページの 香る

カスタードクリームで 書かれた 文字の

むかし 未遂に 終わった 恋と 呼び声は

ひとつの 開花を 遂げながら ひびいて ゆく

かなかな 可奈

誰かのもので あったもの から

気づいた ひと みんなの ものへ

かつ 誰のものでも ない ひびきへ...





放り 出されて いた

こころは ふしぎに おだやかに

ようやく 小康を 得た ぼくは

ジャックの ように 旅立つ のだ

つくつくほうし すら はかなく 啼く ときに

ひぐらしに 間に合うの だろうか

もう 聞いて しまった 気も するし

そうでは ない 気も して いた











自由詩 ひぐらし Copyright モーヌ。 2007-08-31 07:01:41
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