モリマサ公さんの最新詩集を読みました
リーフレイン
「日曜日は父親と遊園地に行こう」
手で触れるような不満とか憤りとか不安とか(怒りもかな)、が生きてうごめいてみえる。イマジネーション化された描写は、アバンギャルドな(このいい加減な形容詞w)アートを見るような躍動感とセンスにあふれている。奇妙なパステルカラーの美しさがあった。ダーティーな露悪ではなく、パッチワークキルトの壁掛けを縫い上げるような美意識がベースにあるのだろう。
題材は、崩壊している家族の関係、とれないコミュニケーション、みんなが同じように孤独で、同じようにさびしがっていること、自殺、嘘、支えあうように見えて足を引っ張り合っているような不毛な関係性、関係性、、ああそうか、関係性の矛盾が多分メインのテーマなんだろうな。 らべりんぐしてしまってはいけない個人性、らべりんぐしてしまいがちな関係性。
>全員が同じようにひとりぼっちでさびしがっている
「鳥について」という詩の最終行だった一行が詩集全体を貫いていた。
普通なら軽薄になってしまうような都会的な単語に裏を支えるパッションがかっきりとした構築性をあたえている。イメージは飛翔しつつも、連想の意味づけからは離れない。散漫に拡散しない意思(ストーリー性?メッセージ性?)が読み取れた。
ひりひりする皮膚感覚。 目をそむけたくなるような露悪がひめやかに潜む。昇華しきれていない混迷がレゲエのBGMにあわせて踊っているような気がした。 細長い手足がしなやかに、すばやく振り回される。手に握っているのはナイフなんだろうな。
家族を考えるときに、子供の視点から眺めると、与えられてしまった牢獄の内部矛盾に怒りが溜まる。檻の鉄格子の一本が自分であることに気がつくのは、親になってからなのかもしれない。彼女の詩は、その中間だったのだと思う。たださびしがって泣く子供では、もはやなく、その原因の矛盾を冷徹に観察しつつ、しかし混迷している。
等身大の手ごたえのある詩集だった。