砂上の手紙
蒸発王

八月十五日になると
毎年訪れる浜辺があって
太平洋に面したそこへ
母を連れていくのが
夏の慣例だった


『砂上の手紙』



空襲で
顔面に火傷を負った母は
ひどい弱視で
年を越すにつれ
ほとんど見えなくなっていった

それでも
気丈な人で
曇った視界の中
女手一人で私を育て
点字を勉強して
年をとってからは
図書館に通いつめては
新聞や物語を読んでいた

つらつら と
母の細い
しわじわした爪先が
点字の水玉をなぞるのは
流れるように滑らかで
小さな粒と会話しているようだった


父は軍人で
終戦直前に
太平洋に浮かぶ小島で玉砕していた
母は10年
海を見つめて父を待ったが
やがて
背を向け

以来海へ来たことは無かった

そんな
母が

ちょうど終戦50年の節目に
海に行きたいと言った


息子も生まれ
母にとっては初孫だから
てっきり
家族旅行のつもりかと思ったら
私と二人きりが良いという

奇妙に思いつつ
杖をついた
母の手を引き
太平洋をのぞむ海岸に立った

海を蒸発させたような
塩臭い風が
嗅覚を射抜く

大空のスクリーンは
夕闇に飲み込まれそうな
深い瑠璃と紺色をにじませ
雲のつくるうねりが
海上の波と呼び合い
空と海が一つになろうとしていた


夕暮れ時の強い海風が
母の白髪を
ひらひらと煽る中
母は
白い砂浜の上に座りこみ
其の
砂粒を一つ
また 一つ
指先でなぞった


母の
指の動きは
点字をなぞるのと一緒だった


読んでいる


そう感じた時に
今日のこの日
太平洋を望む海岸
この海の先にあるもの

点字

母が

父の手紙を

読んでいると
気づいた

ただいま



母が小さく
おかえり と呟き

その日は
日が暮れても
一緒に
父の手紙を読もうとした


***


今年もまた
この海岸に立つ


母はもういない

数年前に父のもとへ旅立った

あの日から
私も父の手紙が読みたくて
点字を勉強した

砂上に浮かぶ
白波を縫って
砂粒をなぞって
両親の手紙を読む


踏みしめた
砂粒が
答えるように

きゅきゅ と


小さく笑った






『砂上の手紙』


自由詩 砂上の手紙 Copyright 蒸発王 2007-08-14 21:39:03
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