かげろうと檜の木笠
モーヌ。
いつか 夏を 見たので 夏のことを ものがたり
旅を したので 旅のことを ものがたる...
やまと 吉野の 山なか で
灼熱した 午後 数刻の 焦点は ひび割れて
ゆるされた 一顆を スカッシュ すると
それは ゆびの 間から こぼれ 落ちて
ぼくは 西行庵へ ゆくのを あきらめる
( たぶん もう 来れないだろう... )
そこからは いく枝にも すきとおって
道は 走狗 している ようにも 見えた
竹林の 道の むこうは 木の下やみの 山森で
奥の 奥へ 西行庵は ある はずだ
( あまりに とおく )
くたびれて 夕影と けはいが 告げられ
はたせなかった まぼろし
旅人と 呼ばれたく そして 失格を して ゆく
つづらおりを きびすを かえして 下り
花矢倉 という名の みやびやかな 坂道を
ふたたび
佐藤四郎兵衛の 鏑の おとが して
お別れを 告げる 唱声も する
梓弓に とめられし なき名を かがやかす
ミルクの ひかりが 枝々の うえを 追って
まるっきり ひとに であわなかった
遠雷する 死者たちの ほのかな 風韻や
ぼくを 呼んで いる 蝉しぐれ ばかり
“ 食べて ゆかれませんか? ”
すずやかに ひとりっきりの 旅人に かたらう 声
暑気に みがかれた 決然と した 凛冽
衰亡のなか 夏の 気高き 響きに であって
ふと 見やった 茶店の 看板には
静御前の しずかと 書かれて あった
午後の いろに 立ち 誘われて
八月の 日脚の 長き光線の 差す
テラスで 柿の葉ずしを 食べた
びんぼうの 旅は 空腹で
そえられた つめたい 麦茶も うまかった
かげろうの 道中
笠の ふちや 杖の さきに 見えて いた
若者や ひとも だれも 見えなく なった
しずや しず しずの 苧環 くりかえし
ぼくも すきとおった 道の 枝折りに なって ゆき
また 夏が くりかえされれば
旅も また つづけて どこからか はじめられる
また...