夏の日の幻想達 十一
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テーブルに置き忘れたメモが朝を捉え損ね
誰かの起こした風に遊び散る
それは断層にしがみついた学者の手の中で
ありふれた三葉虫や瑪瑙にうまれ
ひとつとして同じ気配でないが
またとない程の発見でもない
それでいて
子ども達の笑いを閉じ込めたしゃぼん玉のだ

スーツ姿の女が軽く固い足音で過ぎてゆく
異国の友人がモップを繰る生活
それは誰の人生にも交感できず
決して交わってならないことを知っている
人は労苦する傍らの無言であっても生きるもの
それを打ち鍛え詩に相応しくなるよう糾すのが務め
生きて安らかでなければ
あめ玉に閉じ隠めた思いを包みから解きほぐす

 *

遠くへ行かないか

青葉を茂らせたさくら
懐かしい焦土の奥深くで白い根を拡げ
燃え残った一冊の本を掴んで離さない
同じ行を繰り返す瞳にいつの日か
新しいうたが零たれると信じ
宙は時代の真空に目を見張る
真空ですら無ではないのだ
それが亜人の屍に花ふらせるさくらだ
ゲルニカの粒砂が浮いた風に飽き
少年の翳した指のすき間から語りくる

もっと遠くへいかないか

地上に未練を残して
恋し産み争うだけが
人の道ではない
もうすこしで宙の秘密が
沈黙の奥に爆発してくる
夢のまた夢が現実のように奇跡であり
悪ではあるが罪ではないのだと
光は偏りながら振返り
雨はずっと太古のままの姿で

  *

羽目板にサドルのない自転車を預け
一日中遊んでもそれは佇んだまま
いつか突然消えさる
誰に盗まれたのだろうか
いや‥‥すれ違ったのだろう
背中に甦る
きのうのぼくがふと手を引かれ
もう片方の手でぬいぐるみを不器用に引きずるのが見れる

夏の終わりにあっけらかんとして空は晴れ
うっすらと苔に覆われふさふさの匂い
枯れ果てた細胞の列に影を落とす
その奥に置かれた声に導かれ
還ったのだろうか
誰にも知られない
ことばが刻み朔し孕めば
埋没した熱が暗室で露にされネガのように反転する時

  *

男の子が雨を避けながら歩いている
ずぶぬれて
そのくせぽかんと開いた口に青空が拡がって
雲が千切れて両手の中を飛んでいく
見つめる無邪気な黄色い帽子が
やたら眩しいかけっこをはじめる

サシカイアだと言ってグラッパを一気に干しあがるから
星を握ってそいつの脳天に振り下ろしてみた
うわんと鳴いて
露店で大人が声をあげる場合
子ども達とさほども変わらない

ゆうべのジンに氷がとけて薄くなった笑いが絶えて久しい夜明け
生活だけが空になったシェービングフォームの缶に映りこんで
人影をモチーフにするには儚なすぎる国道沿いの静寂

  *

毒を全部はきだして/野菜ジュースを注入/いくら待ってもきやしない/仔羊の変わり果てた姿/ぼくは箸でつっついていた/誰かと指をからませるのにも飽きて/基盤がない思考こそ/最高のシェフだ/たばこでべたつく唾を吐いたら/ベビーシッターがなみだを堪えているのがわかったから/哀しい歌がきこえてきて/老人が老人の手首を掴む/それが子守唄だったら/墓石のドミノ/放射状に連鎖して/ボヘミアグラスに注いで満たす
あしたはきっと銀の匙ひとすくいの血

  *

醸すのはひとしずくの詩

あれは
透けるほど美しい青磁のようだった
白銀で薄く皮膜したカンバスのようで
コンクリートをくぐり抜けるガンマ線のようだった
残された記録の配列をたどり蒸溜され巣立つ

無機質の結合が瞬きにも映らぬほど素早く明滅していた
パソコンの先端で垂れ下がるアイスがにやつく唇や
坊主の大袈裟な読経が裏山に留まるつかの間
計算されるより早く物陰に伏せる

飲み干した悦びがいつだって虚ろだ

  *

ふなが糸に曳かれ水面から現れる
夕陽を受け透ける背骨にことばは
銀河をひとつその奥に秘め
回り回りながら回り続ける
ある人の愛のことば
それが私へ向けられる日を願い
星の運く方に聳える暗黒の空を見る
幸せだったのはよっつを数えるまでだった
あとは針を飲んで溶かすような青春が続き誰にもみとられず
梢がゆれるたび
葉の陰が首筋を掠めてゆく
誰も知らない
この霞んだ晴れが
いつ雨に変わるのか
コンクリートの連なりに生きる限り
それを誰かが造り出した理由を
実のところ私も知らない
ただ、あの日の屋上に出る鍵が虹と一緒に壊されていることに
気づいた覚悟はできていた
竹篭に収まる昆虫に囁きかけて
泣いて深く沈めた
孤独な睡群

  *

 悪くない

 欠けたワイングラスのような椅子の座り心地に
 それでも笑顔でいながら反吐が胃に収まっているんだ
 消化しきれないでいる焼き鳥や枝豆や冷奴
 しかしそれらも今また溶解の途中

 松明を点けた男
 この真夏の都で

 行灯の傍らに熟女がいて爪を研ぐ
 いつもの散歩道に忽然と顕われた時代劇さながらの風景

 悪くないよな

 完璧な静寂の為に純雪で布を織る
 胸を決めつけられるほどの白い情

  *

正午を告げる鐘の音が
汚れた風に運ばれてきた
台風が過ぎて次の日の晴れは
人の群れが立てるかわいた音が
蜃気楼を遠ざけて過ぎる

  *

水道電気電話料金の請求書の束に
一通の封筒が紛れてあった
今日もまたさびしそうに
この時でなければ
けして見ることのない薄みで

蛍光灯に照らされた机の陰りに手を触れながら
思い出すものもある
お前がかすかに空を窪ませる匂いが漂う
削られたことばで綴られたコバルトの詩
冷たい夏になま温かい行間

ふっと息を吹き込んで開き
逆さに振るとたなごころに
恥ずかしそうなお前のかけらが落ちてきた
他には何の文もないので飾ることにして
不思議な夢を見て
つつまれて眠る

 *

因に
うちはガスを引き込みしていない
カセットコンロに乗せるのは
薬燗とちいさなフライパン
ライターが見つからなければ
たばこや蚊遣りをあてて
髪が縮れることもある
何か遠くで蠢くものを
呼び寄せる紫の薫

 *

それは切り刻まれた空を
絵にしようとするけれど
笑っていることにふと気づく
自然がとぼしい反射光と
あの日の窓から見ていた
お前と一緒に落下する幻影は
誰にも求めることができなかった

ことばはビスケット
それを砕いて
地面に八の字を描けば
蟻はぐるぐる永遠を彷徨うだろう
そんな思惑ははずれ
蟻には帰る家があった
ぼくにも帰る家がある

永遠を飛翔する

果たして数々の亡霊が
歩くだけで崩せた秩序に
キーボードを打って流せるなみだがある
つい、笑ってしまう訳がある






自由詩 夏の日の幻想達 十一 Copyright soft_machine 2007-08-09 20:29:32
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