今週の好ましかった三つの詩
生田 稔
石瀬琳々、悠詩、L-Yurika☆の詩
夏へ
石瀬琳々
感覚のすぐれた詩である。ともすれば平凡な言葉を上手に使いつつ、淡い印象の四つの連。それぞれの連のはじめの行が、連を改めるごとに、新しく発想したであろう表現。詳しく見ると各連が互いに関連しあって、「貴方にめぐり逢える、そんな気がして」と結詩され、淡い々々詩想が本当に心地よい詩ではなかろうか。
車椅子の背中
悠詩
詩を書くことに疑問、そして求めても得られない詩の真実に、ややも失望しながらも、物理のような理論では決定的な解の得られない学問と詩との接点に立ち、シュレーディンガー方程式の井戸・、越えられないポテンシャル・エネルギーの励起の現象・トンネル効果などに触れながら、「男の子のありがとうという詩が聞きたい」という人間らしく結詩している。
詩人が科学を学んだ時、その詩は輝きを増すとかエマソンは言ったというが、湯川博士は仏典・道教。西田幾多郎・鈴木大拙から学説を(中間子論)導いたという。学問は等しく、詩もまたおなじである。
ばいばい、アイツ。
L-Yurika☆
この詩は現フォの立ち並ぶ詩群の中で、0という数字をつけて、見放されていた。憐れんだわけでもなく、クリックしてみると意外に語り口が良い。恋のこじれなんですね。そのことはともかくも、フィクションかもしれんから、真面目に読めないかも,でも
「でもアイツは
真っ赤な嘘を残して去った
そう、嘘。
なんて意味のねぇ
真っ赤な嘘。
私は綺麗になる
今よりもっと。
後悔してみる?
お好きにどうぞ♪〃
私の三倍は後悔してよね。」
ここはちょっと面白い。
「自分の欲望に
振り回される毎日から
抜け出して。
誰も知らない
自分に会う為に
飛び立つんだ。
ばいばい、アイツ。
まだ好きなのは
仕方ないよね。」てとこもこの詩の良いところである。
「ばいばい、アイツ。
また逢う日まで。」と終わる。また逢うこととが「ばいばい」の前提,そう言い放って終連を閉じてある。よかったよ!